「令和の三四郎」と聞いて、真っ先に思い浮かぶ柔道家といえば、村尾三四郎(むらお・さんしろう)選手ではないでしょうか。
2024年パリオリンピック男子90kg級で銀メダル。
さらに混合団体でも銀メダルを獲得しました。
そして2025年のブダペスト世界選手権では、男子90kg級でついに世界一。
パリ五輪であと一歩届かなかった世界の頂点に立ちました。
そして2026年10月4日、アゼルバイジャン・バクーで世界柔道選手権が開幕。
村尾選手は10月8日に行われる男子90kg級に出場し、世界選手権2連覇を目指します。
そんな村尾選手について、
「父親や母親はどんな人?」
「両親の職業や年齢は?」
「ハーフって本当?」
「高校や大学はどこ?」
「兄弟はいる?」
「彼女は?」
「パリ五輪の誤審って何だったの?」
など、気になっている方も多いようです。
今回は村尾三四郎選手の両親や家族、ハーフといわれる理由、高校・大学などの学歴から、パリ五輪、2025年世界選手権、そして2026年バクー世界選手権まで詳しくご紹介します。
村尾三四郎のプロフィール!身長・階級・所属は?
まずは村尾三四郎選手の基本プロフィールから見ていきましょう。
- 名前:村尾三四郎(むらお・さんしろう)
- 生年月日:2000年8月28日
- 年齢:26歳(2026年10月現在)
- 出生地:アメリカ・ニューヨーク州
- 身長:180cm
- 階級:男子90kg級
- 組み手:左組み
- 得意技:内股、大外刈など
- 出身中学:姫路市立灘中学校
- 出身高校:桐蔭学園高校
- 出身大学:東海大学
- 所属:ジャパンエレベーターサービスホールディングス株式会社
- 段位:五段
- 愛称:令和の三四郎
全日本柔道連盟の公式プロフィールでも、男子90kg級、ジャパンエレベーターサービスホールディングス所属、灘中学校―桐蔭学園高校―東海大学という経歴が紹介されています。
身長は180cm。
左組みから繰り出す内股や大外刈を得意とし、正統派の日本柔道を感じさせる美しい投げ技も魅力です。
パリ五輪後のインタビューでは、柔道を単なるスポーツとしてではなく、日本の武道として次世代へつないでいきたいという思いも語っています。
結果だけでなく「柔道家としてどうあるべきか」を大切にしているところも、村尾選手が多くのファンから支持される理由なのでしょう。
村尾三四郎の両親はどんな人?
ここからはタイトルにもある村尾三四郎選手のご両親について見ていきましょう。
村尾選手は、
日本人の父親とアメリカ人の母親
の間に生まれました。
父親は村尾英俊さん。
母親はデボラ・グロウさんです。
2024年パリオリンピックでは、ご両親が現地で息子の試合を見守る姿も報じられています。
ニューヨークで生まれた村尾選手が日本で育ち、やがて日本代表としてオリンピックの畳に立つ。
ご両親にとっても、感慨深いものがあったのではないでしょうか。
父親は村尾英俊さん!職業や年齢は?
村尾三四郎選手の父親は、
村尾英俊さん
です。
父親は日本人で、村尾選手が生まれた当時は家族でアメリカ・ニューヨークに暮らしていました。
ネット上では、父親について「大学講師」「著述家」「金融関係の仕事をしていた」といったプロフィールも紹介されています。
また1963年生まれという情報も見られます。
ただし、今回改めて調査したところ、父親本人や村尾選手の公式プロフィール、JOC、全日本柔道連盟などで、現在の職業や生年月日まで明確に公表された資料は確認できませんでした。
そのため、
父親は村尾英俊さんという日本人男性であることは確認できるものの、現在の職業や正確な年齢については公表情報が限られている
と考えるのがよさそうです。
一般のご家族ですので、ネット上のプロフィールをそのまま事実として扱うより、確認できる範囲で紹介したいと思います。
父親が柔道を始めるきっかけを作った
父・英俊さんについて興味深いのが、村尾選手が柔道を始めるきっかけにも関わっていたことです。
村尾選手本人は、柔道を始めた経緯について、
父親がお姉さんに柔道を習わせようとし、自分も姉について行った
という趣旨の話をしています。
つまり最初から、
「三四郎という名前だから柔道をやらせよう!」
という家庭だったわけではありません。
むしろ村尾選手は幼い頃、柔道だけでなく、
- ラグビー
- 相撲
- 水泳
- 体操
- 合気道
など、さまざまなスポーツを経験しています。
一つの競技に早くから絞るのではなく、いろいろな運動を経験したことが、現在の身体能力やバランス感覚につながっているのかもしれません。
「三四郎」という名前は父親が命名
村尾三四郎選手といえば、やはり気になるのが、
「三四郎」
という名前ですよね。
柔道家で三四郎。
どうしても富田常雄の小説『姿三四郎』を連想してしまいます。
ところが本人によると、柔道が由来ではありません。
父親が、
日本人らしい名前を付けたい
と考え、「三四郎」という響きから命名したと紹介されています。
当時ニューヨークで暮らしていた家族。
アメリカ人の母を持つ息子に、日本人としてのルーツを大切にしてほしいという父親の思いがあったのでしょう。
その息子が後に日本代表の柔道家となり、
「令和の三四郎」
と呼ばれるようになったのですから、不思議な巡り合わせを感じますよね。
母親はアメリカ人のデボラ・グロウさん
村尾三四郎選手の母親は、
デボラ・グロウさん。
アメリカ人です。
パリ五輪では父・英俊さんとともに現地で取材を受ける姿も報じられています。
ネット上では母親について、
「大学で英語を教えている」
「ニューヨーク時代に歌手や俳優として活動していた」
といった情報も紹介されています。
ただ、父親と同様、現在の勤務先や職業、生年月日などについて、今回確認したJOCや全日本柔道連盟などの公式プロフィールでは公表されていません。
そのため母親について確実に紹介できるのは、
アメリカ人のデボラ・グロウさんであること
そして、
日本人の父・英俊さんとの間にニューヨークで村尾選手が誕生したこと
です。
母親の正確な年齢についても、信頼できる公表情報は確認できませんでした。
村尾三四郎はハーフ?噂ではなく事実
「村尾三四郎 ハーフ」
というキーワードでもよく検索されています。
結論からいうと、
村尾三四郎選手が日本人とアメリカ人の両親を持つことは事実です。
父親が日本人。
母親がアメリカ人。
そして本人はアメリカ・ニューヨーク州で誕生しました。
JOCの公式インタビューでも、
「日本人の父、アメリカ人の母を持つ」
と明記されています。
ですから「ハーフなのでは?」という単なる噂ではありません。
ニューヨーク生まれ!2歳で日本へ
村尾三四郎選手は2000年8月28日、アメリカ・ニューヨーク州で誕生しました。
2歳の時に日本へ移住。
最初は横浜で生活し、その後、5歳の頃に茨城県へ移りました。
つまり出生地こそニューヨークですが、幼少期から長く日本で育っています。
そして5歳で、
つくばユナイテッド柔道
に入り、柔道を始めました。
指導にあたったのは、1992年バルセロナ五輪男子86kg級銅メダリストの岡田弘隆さん。
幼い頃からオリンピアンの指導を受ける環境にあったことになります。
村尾三四郎が柔道を始めたのは姉の影響
村尾選手が柔道を始めた直接的なきっかけは、
お姉さん。
父親がお姉さんに柔道を習わせようとしており、村尾選手も一緒について行ったことから柔道を始めました。
最初は姉について行っただけ。
しかし村尾選手は柔道にのめり込みます。
本人によると、幼稚園の頃にはすでに、
「将来は柔道選手になる」
と決めていたそうです。
5歳の子どもが自分の将来をそこまで明確に思い描いていたというのも驚きですよね。
小学生時代は柔道以外にも多くのスポーツを経験
村尾選手は柔道だけをしていたわけではありません。
幼少期から、
ラグビー。
相撲。
水泳。
体操。
そして小学校の終わり頃には合気道も経験しました。
ほぼ毎日のように違うスポーツへ取り組んでいた時期もあったそうです。
現在の村尾選手を見ると、投げ技だけでなく、体幹の強さやバランス感覚、足技の巧みさが印象的です。
もちろん柔道の練習によって磨かれた部分が大きいでしょうが、幼少期にさまざまな運動を経験したことも、身体能力の土台になったのかもしれませんね。
村尾三四郎の中学は姫路市立灘中学校
村尾三四郎選手の出身中学は、
兵庫県の姫路市立灘中学校。
柔道でさらに強くなるため、親元を離れて兵庫県へ進みました。
中学3年だった2015年には全国中学校柔道大会81kg級へ出場。
そして、
5試合すべて一本勝ち。
圧倒的な内容で全国優勝しました。
現在の90kg級で見せる「一本を取る柔道」は、この頃からすでに表れていたようです。
村尾三四郎の高校は桐蔭学園高校
中学卒業後に進学したのが、
桐蔭学園高校。
神奈川県を代表する柔道強豪校です。
村尾選手は、高松正裕先生の指導を受けたいという思いから桐蔭学園を選びました。
高松先生は2004年アテネオリンピックにも出場した柔道家。
「有名な学校だから」というだけでなく、
「この先生に教わりたい」
という理由で進路を選んだところにも、村尾選手らしさを感じます。
高校から90kg級へ!全国トップへ成長
桐蔭学園高校では90kg級を主戦場とするようになります。
高校時代には個人・団体の両方で全国トップクラスへ成長。
2017年には金鷲旗で優勝。
インターハイでも活躍し、桐蔭学園の黄金期を支えました。
個人戦でも全国の頂点へ。
2017年、2018年のインターハイ男子90kg級で優勝し、
インターハイ個人2連覇
を達成しています。
2018年には世界ジュニア選手権で銀メダル。
高校生ながら世界でも結果を残す選手になりました。
高校3年でグランドスラム大阪3位
2018年11月。
高校3年生だった村尾選手はグランドスラム大阪へ出場しました。
結果は、
3位。
まだ高校生ながら、世界のトップ選手が集まるシニア国際大会で表彰台に立ったのです。
この大会をきっかけに、村尾三四郎という名前が柔道ファン以外にも広く知られるようになっていきました。
「令和の三四郎」と呼ばれる次世代のスター候補が、本格的にシニアの舞台へ姿を現した時期です。
村尾三四郎の大学は東海大学
2019年。
村尾三四郎選手は、
東海大学
へ進学しました。
柔道界の名門中の名門です。
入学時には、
「令和の三四郎と呼ばれるような活躍をしたい」
という思いも語っていました。
そして大学1年生から、その言葉に負けない活躍を見せます。
大学1年でリオ五輪金メダリスト・ベイカー茉秋を破る
2019年の講道館杯。
大学1年生だった村尾選手は男子90kg級決勝へ進みます。
対戦相手は、
ベイカー茉秋選手。
2016年リオデジャネイロオリンピック男子90kg級金メダリストです。
村尾選手は、この大物を破って優勝。
大学1年生でシニア国内主要大会の頂点に立ちました。
高校時代から注目されていた選手とはいえ、五輪金メダリストを倒しての優勝。
ここから東京五輪代表争いにも本格的に加わっていきます。
東京五輪代表には届かなかった
しかし、すべてが順調だったわけではありません。
大きな目標としていた東京オリンピック。
村尾選手は代表入りを逃しました。
若くして全国トップへ。
国際大会でも活躍。
それでも「日本代表1番手」にはなかなかなれない。
本人も後に、
2番手、3番手から1番手へ上がれない時期
の苦しさを振り返っています。
しかし、この経験が村尾選手をさらに強くしました。
斉藤立との16分超の死闘が転機に
村尾選手の大学時代を語るうえで外せない試合があります。
2022年6月の全日本学生柔道優勝大会。
東海大学と国士舘大学の決勝は代表戦へ。
東海大学の主将だった村尾選手が対戦したのは、
斉藤立選手。
100kg超級の斉藤選手と90kg級の村尾選手。
体重差は約80kgとも報じられました。
試合は延長を含め、
16分18秒。
最後は村尾選手が上四方固めで勝利。
東海大学を6大会連続26度目の優勝へ導きました。
体格で圧倒的に上回る相手に勝ったこの一戦は、村尾選手自身にとっても大きな自信になったといわれています。
個人的にも、村尾選手のキャリアを振り返ると、この試合は一つの転機だったように感じます。
2023年世界選手権で銅メダル
2023年にはドーハ世界選手権へ出場。
男子90kg級で、
銅メダル。
初めて世界選手権の表彰台に立ちました。
同年12月にはグランドスラム東京でも優勝。
そしてパリ五輪代表争いを勝ち抜き、念願だったオリンピック日本代表の座をつかみます。
村尾三四郎はパリ五輪で銀メダル
2024年パリオリンピック。
村尾三四郎選手は初めて五輪の畳へ立ちました。
男子90kg級で順調に勝ち進み、決勝へ。
対戦相手はジョージアの、
ラシャ・ベカウリ選手。
東京五輪金メダリストです。
しかも村尾選手にとって、過去に勝てていなかった難敵でした。
金メダルを懸けた一戦は、今でも多くの柔道ファンの記憶に残っています。
パリ五輪決勝の「誤審」騒動とは?
村尾選手について検索すると、
「村尾三四郎 誤審」
というキーワードが出てきます。
これはパリ五輪男子90kg級決勝の判定が大きな議論になったためです。
村尾選手は序盤に技ありを奪って先行。
その後ベカウリ選手に技ありを奪われ、1対1となります。
そして残り30秒を切ったところ。
村尾選手が内股でベカウリ選手を投げました。
会場から大きな歓声。
しかし、
ポイントは認められませんでした。
もし技ありとなれば合わせ技一本。
村尾選手の金メダルでした。
会場からはブーイングも起こりました。
「技ありだったのでは?」と議論に
この場面についてSNSでは、
「技ありでは?」
「なぜポイントにならない?」
という声が相次ぎました。
一方、男子日本代表の鈴木桂治監督は試合後に映像を確認。
今大会全体の判定基準を踏まえると、ポイントを取らない判定について理解できるという見解を示しています。
つまり、
「明確な誤審だった」と事実として断定することはできません。
見る人によって判断が分かれた、非常に微妙な場面だったというのが正確でしょう。
JOCも後のインタビューで、この場面を「幻の判定ともいわれるような微妙な判定」と表現しています。
最後はベカウリに技ありを奪われ銀メダル
試合はそのまま続行。
そして残り4秒。
ベカウリ選手の技が技ありとなり、合わせ技一本。
村尾選手は敗れました。
結果は、
銀メダル。
試合後の村尾選手は涙を流しました。
ただし印象的だったのは、判定を敗戦の言い訳にしなかったことです。
本人はその後、ベカウリ対策として決めていた自分自身の戦い方を徹底できなかったことを反省しています。
そして、
ロサンゼルス五輪でこの借りを返す
という決意を語りました。
判定への不満ではなく、自分に矢印を向ける。
悔しい状況でも相手をたたえ、礼を尽くす。
この姿勢も含めて「村尾三四郎という柔道家」を応援したくなった方は多かったのではないでしょうか。
混合団体でも銀メダル
パリ五輪では個人戦だけでなく、男女混合団体にも出場しました。
日本は決勝でフランスと対戦。
惜しくも敗れ、
銀メダル。
村尾選手はパリ五輪で、
男子90kg級銀メダル。
混合団体銀メダル。
2つの銀メダルを獲得しました。
JOCの公式プロフィールにも、この2個の銀メダルが記録されています。
2025年世界選手権で悲願の世界一
パリ五輪から約1年。
2025年6月17日。
ハンガリー・ブダペストで行われた世界選手権男子90kg級で、村尾選手は再び世界の頂点へ挑みました。
2回戦から登場すると、
ウズベキスタンのシャリポフ選手。
ベラルーシのバラパエウ選手。
フランスのヌギャップハンブ選手。
そして準決勝では2023年世界王者のルカ・マイスラゼ選手を撃破。
決勝へ進みました。
決勝は田嶋剛希との日本人対決
世界選手権決勝の相手は、
田嶋剛希選手。
日本人同士の決勝となりました。
試合は互いに譲らずゴールデンスコアへ。
最後は田嶋選手に3つ目の指導が入り、
村尾選手の反則勝ち。
ついに、
世界選手権初優勝。
パリ五輪で銀メダルに終わった悔しさを乗り越え、世界王者となりました。
2023年世界選手権銅。
2024年パリ五輪銀。
2025年世界選手権金。
少しずつ階段を上がって、ついに頂点へ。
この流れを見ると、負けを無駄にしない村尾選手の強さを感じます。
2025年グランドスラム東京でも田嶋剛希を破り優勝
2025年12月のグランドスラム東京でも村尾選手は優勝しました。
決勝の相手は再び田嶋剛希選手。
今度は一本勝ちで優勝。
世界選手権に続いて国内のライバルを破り、2026年世界選手権代表を早々に確実なものとしました。
そして全日本柔道連盟は、村尾選手を2026年バクー世界選手権男子90kg級日本代表に正式決定しています。
2026年全日本選手権では準優勝
2026年4月には体重無差別で争われる全日本柔道選手権へ出場。
村尾選手は決勝まで進出しました。
90kg級の選手が、100kg級や100kg超級の大型選手も出場する無差別大会で決勝まで勝ち上がるだけでも簡単ではありません。
結果は、
準優勝。
優勝は田嶋剛希選手でした。
世界選手権決勝では村尾選手。
全日本選手権では田嶋選手。
同じ90kg級の2人が高いレベルで競い合っています。
2026年6月グランドスラム・ウランバートル優勝
さらに2026年6月。
村尾選手はグランドスラム・ウランバートルへ出場し、
男子90kg級優勝。
世界選手権を前に国際大会でもしっかり結果を残しました。
パリ五輪後も立ち止まることなく、
世界選手権。
グランドスラム東京。
グランドスラム・ウランバートル。
と勝利を重ねています。
世界王者になっても、まだ強くなろうとしている。
そこが村尾選手のすごいところですよね。
村尾三四郎に兄弟はいる?
村尾三四郎選手には兄弟がいます。
特に柔道との関係で知られているのが、
お姉さん。
先ほど紹介した通り、村尾選手が柔道を始めたきっかけは、父親がお姉さんに柔道を習わせようとしたことでした。
村尾選手本人がテレビ東京のインタビューで、
姉について行く形で柔道を始めた
と明かしています。
一方、兄弟の詳しいプロフィールについては公表情報が限られています。
ご家族は一般の方でもありますので、名前や現在の職業など、本人が公表していない情報を無理に追う必要はないでしょう。
村尾三四郎に彼女はいる?
村尾選手については、
「彼女はいる?」
「結婚している?」
と気になっている方もいるようです。
2026年10月現在、今回調査した範囲では、村尾選手本人による交際・結婚の公表や、信頼できるメディアによる結婚報道などは確認できませんでした。
ただし、
公表されていない=彼女がいない
という意味ではありません。
恋愛は完全にプライベートな部分です。
現在は世界選手権連覇、そして2028年ロサンゼルス五輪という大きな目標へ向かっている村尾選手。
競技以外のプライベートについては、本人から発表があった時に見守りたいですね。
大の里との意外な関係は?
村尾選手について調べると、
「大の里」
という名前が一緒に出てくることがあります。
村尾選手は幼少期、柔道だけでなく相撲にも取り組んでいました。
わんぱく相撲などにも挑戦しており、後に大相撲で活躍する大の里と少年時代に同じ競技の舞台に立ったというエピソードも紹介されています。
ただし、具体的な大会や対戦結果については二次情報でさまざまな記述が見られるため、この記事では「村尾選手が大の里に勝った」とまで断定することは避けたいと思います。
確かなのは、村尾選手が幼少期に相撲を含む複数の競技を経験していたこと。
柔道だけではない多彩なスポーツ経験が、現在の強さにつながっているのかもしれません。
2026年バクー世界選手権で2連覇へ
そして現在。
2026年10月4日から11日まで、アゼルバイジャン・バクーで世界柔道選手権が開催されています。
村尾三四郎選手は、
男子90kg級日本代表。
同階級には田嶋剛希選手も出場します。
男子90kg級が行われるのは、
2026年10月8日(木)。
全日本柔道連盟の公式日程では、
予選開始:日本時間15時30分
決勝開始:日本時間23時
となっています。
村尾選手にとっては世界選手権2連覇を懸けた大会です。
パリ五輪王者ベカウリとの再戦にも注目
世界選手権で注目されるのが、
ラシャ・ベカウリ選手。
パリ五輪決勝で村尾選手を破ったジョージアの強豪です。
村尾選手にとっては非常に相性の厳しい相手として知られています。
しかしパリ五輪以降、村尾選手自身も世界選手権優勝などを経験し、さらに強くなっています。
もし再戦が実現すれば、
パリ五輪銀メダリスト。
世界王者。
そして五輪王者。
男子90kg級を代表するトップ柔道家同士の注目対決となるでしょう。
ロサンゼルス五輪で目指すのは金メダル
村尾三四郎選手の大きな目標は、
2028年ロサンゼルスオリンピック金メダル。

パリ五輪後、本人ははっきりと、
銀メダルでは終われない。
4年後に借りを返す。
という決意を語っています。
2023年世界選手権銅。
2024年パリ五輪銀。
2025年世界選手権金。
そして2026年は世界選手権連覇へ。
一歩ずつ、確実に強くなっています。
ただ村尾選手が目指しているのは、単なる「勝てる選手」だけではありません。
JOCのインタビューでは、日本の柔道が持つ精神や伝統を大切にしながら、次の世代へつないでいきたいという思いも語っています。
だからこそ、
「令和の三四郎」
という呼び名が似合うのでしょう。
まとめ
今回は「村尾三四郎の両親(母・父)の職業や年齢は?ハーフの噂や高校、大学について。」というテーマで、村尾三四郎選手について詳しくご紹介しました。
村尾三四郎選手は2000年8月28日、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。
父親は日本人の村尾英俊さん。
母親はアメリカ人のデボラ・グロウさんです。
そのため、日本人の父とアメリカ人の母を持つという意味で「ハーフ」という情報は事実です。
ただし、ご両親の現在の職業や正確な年齢については、公的プロフィールなどで十分に確認できる情報が限られています。
ネット上では父親を大学講師・著述家、母親を英語講師などと紹介する記事もありますが、この記事では断定を避けました。
「三四郎」という名前は柔道の『姿三四郎』が直接の由来ではなく、父親が日本人らしい名前を付けたいという思いから命名したと紹介されています。
村尾選手は2歳で日本へ移住。
5歳で柔道を始めました。
そのきっかけになったのがお姉さんです。
柔道だけでなく、ラグビー、相撲、水泳、体操、合気道など、幼少期にはさまざまなスポーツを経験しました。
学歴は、
姫路市立灘中学校→桐蔭学園高校→東海大学。
中学3年時には全国中学校大会81kg級を5試合すべて一本勝ちで優勝。
桐蔭学園高校では90kg級でインターハイ個人2連覇を達成し、高校3年時にはグランドスラム大阪で3位となりました。
東海大学1年時には講道館杯決勝でリオ五輪金メダリストのベイカー茉秋選手を破って優勝。
2022年には全日本学生優勝大会で100kg超級の斉藤立選手との16分を超える死闘を制しています。
2023年世界選手権では銅メダル。
2024年パリオリンピックでは男子90kg級銀メダル。
決勝ではラシャ・ベカウリ選手との試合で判定を巡る議論も起こりましたが、村尾選手自身は判定を言い訳にせず、自分自身の戦い方を振り返りました。
そして2025年世界選手権。
決勝で田嶋剛希選手を延長の末に破り、
悲願の世界一。
2026年6月にはグランドスラム・ウランバートルも制しています。
そして2026年10月8日。
バクー世界選手権男子90kg級で、
世界選手権2連覇
に挑みます。
ニューヨークで生まれ、「日本人らしい名前を」と父親から三四郎と名付けられた少年。
その少年が日本代表の柔道着を着て世界王者となり、「令和の三四郎」と呼ばれるようになりました。
名前だけを見ると偶然のようにも思えます。
でも、村尾選手の礼を大切にする姿勢や、負けても言い訳をせず自分自身と向き合う姿を見ていると、今では「三四郎」という名前が本当に似合う柔道家になったように感じます。
次に目指すのは世界選手権連覇。
そして2028年ロサンゼルスオリンピックの金メダル。
パリで流した悔し涙が、ロサンゼルスではうれし涙に変わるのか。
これからも「令和の三四郎」村尾三四郎選手を応援していきたいですね。





