石川雅規 嫁との結婚の馴れ初めや子供(息子)の年齢や名前は?甥も野球選手だった。

2026年10月3日、神宮球場で一つの時代が終わりました。

東京ヤクルトスワローズ一筋25年。

「小さな大投手」と呼ばれた石川雅規投手が、現役最後の試合を迎えました。

その特別な一日は、家族とともに始まりました。

試合前のファーストピッチセレモニーには2人の息子が登場。

長男・大耀(だいや)さんがマウンドに立ち、次男・栄寿(えいす)さんが打席へ。

そして父・石川投手が捕手を務めました。

大耀さんが父のミットへノーバウンドで投げ込むと、神宮球場からは大きな拍手。

中継で解説を務めた古田敦也さんが、2人の息子について父親よりずっと大きく成長したことを紹介したことも話題になりました。

そして試合では、7回に石川投手がまさかの「代打」で登場。

現役最後の打席は三飛となり、投手として史上初となる25年連続安打こそなりませんでしたが、球場は大きな拍手に包まれました。

さらに8回。

今度は本職の投手として、神宮のマウンドへ。

中日・森駿太選手を相手に、最後は外角低めのストレートで空振り三振。

現役最後の打者を三振で仕留め、25年間のプロ野球人生を締めくくりました。

こんな終わり方ができるのも、石川投手らしいですよね。

決して剛速球で押すタイプではなく、コントロールと緩急、そして考え抜いた投球で打者を抑え続けた左腕。

最後の最後まで「投手・石川雅規」の姿を見せてくれました。

そんな石川投手について、

「嫁の聡子さんってどんな人?」

「結婚の馴れ初めは?」

「息子の名前や年齢は?」

「長男も野球選手だった?」

「甥っ子も秋田商業で野球をしている?」

など、家族について気になっている方も多いのではないでしょうか。

今回は石川雅規投手のプロフィールから、妻との結婚や馴れ初め、2人の息子、そして同じ秋田商業でエースとなった甥・佐藤颯真選手まで詳しくご紹介します。

石川雅規のプロフィール!身長・年齢・出身地は?

まずは石川雅規投手の基本プロフィールから見ていきましょう。

  • 名前:石川雅規(いしかわ・まさのり)
  • 生年月日:1980年1月22日
  • 年齢:46歳(2026年10月現在)
  • 出身地:秋田県
  • 身長:167cm
  • 体重:73kg
  • 投打:左投げ左打ち
  • ポジション:投手
  • 出身高校:秋田市立秋田商業高等学校
  • 出身大学:青山学院大学
  • 所属:東京ヤクルトスワローズ
  • 背番号:19

プロ野球選手としては小柄な167cm。

それでもプロで25シーズンを戦い抜き、通算188勝を積み重ねました。

高身長の投手が多いプロ野球界で、167cmの左腕がこれだけ長く第一線で活躍したこと自体が驚異的です。

体格だけで選手の可能性は決まらない。

石川投手の野球人生そのものが、そんなことを教えてくれているように感じます。

秋田商業から青山学院大学へ

石川雅規投手は秋田商業高校時代から注目された投手でした。

1997年にはエースとして夏の甲子園に出場。

高校卒業後は青山学院大学へ進学します。

大学でも主力投手として活躍し、1999年には全日本大学野球選手権で優勝。

さらに2000年には大学生ながらシドニーオリンピックの野球日本代表に選出されました。

そして2001年のドラフトで自由獲得枠によりヤクルトスワローズへ入団。

背番号は、その後25年間背負い続けることになる「19」でした。

プロ1年目から12勝で新人王

石川雅規投手は2002年、プロ1年目からいきなり先発ローテーションに定着します。

29試合に登板し、

12勝9敗、防御率3.33。

見事にセ・リーグ新人王を獲得しました。

翌2003年も12勝。

2004年は11勝。

2005年は10勝。

2006年も10勝。

なんと新人から5年連続で二桁勝利を記録しました。

身長167cmという体格を考えると、改めてすごい記録ですよね。

最優秀防御率は2008年

石川投手のキャリアで特に素晴らしかったシーズンの一つが2008年です。

この年は30試合に登板。

195イニングを投げ、

12勝10敗、防御率2.68。

この防御率2.68でセ・リーグ最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

石川投手といえば「長く投げ続けた投手」という印象が強いですが、全盛期にはリーグトップの防御率を記録した一流投手でもあります。

決して「長く続けたから数字が積み上がった」だけではありません。

306試合連続先発登板はセ・リーグ記録

石川雅規投手が残した記録の中でも、長期間の安定感を象徴しているのが306試合連続先発登板です。

2009年4月3日から2021年10月23日まで、登板した306試合すべてで先発。

三浦大輔さんの294試合を抜き、セ・リーグ記録となりました。

NPB記録は山内新一さんの311試合。

わずか5試合差です。

先発投手は故障や不調によってローテーションを外れることがあります。

それを12年以上にわたって続けたというだけでも、石川投手のコンディショニング能力の高さが分かります。

愛称「カツオ」で親しまれた石川雅規

石川雅規投手といえば、

「カツオ」

という愛称でもおなじみです。

アニメ『サザエさん』の磯野カツオに雰囲気が似ていることから、ヤクルト時代のチームメートによって付けられた愛称として知られています。

最初は少し恥ずかしかったそうですが、その後はファンにも浸透。

本人も「カツオ」と呼ばれることを喜ぶようになりました。

長いキャリアを重ねた大投手なのに、ファンから親しみを込めて「カツオ」と呼ばれる。

石川投手の柔らかい人柄が表れているような愛称ですよね。

石川雅規の嫁は聡子さん

ここからは石川雅規投手の家族について見ていきましょう。

石川投手の妻は聡子さんです。

旧姓は山田さんと紹介されています。

石川投手と同じ1980年生まれで、青山学院大学時代から交際していたことが知られています。

石川投手本人も2026年のインタビューで、

「大学時代からお付き合いをしてきた」

と振り返っています。

つまり、プロ野球選手になってから知り合った女性ではありません。

石川投手がまだ青山学院大学で白球を追っていた頃から、そばにいた存在だったのです。

嫁との結婚の馴れ初めは青山学院大学

2人の出会いは青山学院大学時代です。

大学時代から交際を続け、石川投手がヤクルトへ入団した後も関係を育みました。

そしてプロ2年目を終えた2003年オフに結婚。

石川投手はこの時23歳でした。

大学時代から交際。

2002年にプロ入り。

新人王。

翌2003年にも12勝。

そして結婚。

石川投手にとってプロ野球選手としての土台を作っていた時期に、人生のパートナーとも家庭を築き始めたことになります。

妻・聡子さんは元CA?

聡子さんについては、結婚前に航空会社で客室乗務員(CA)として勤務していた女性として以前から紹介されています。

ただし一般の方ということもあり、勤務していた航空会社や詳しい職歴について、現在広く確認できる公式プロフィールはありません。

そのため勤務先や在籍期間などを細かく断定するより、

青山学院大学時代から石川投手と交際し、結婚前にはCAとして働いていたと報じられている女性

という程度にとどめておくのがよさそうです。

何より今回の引退にあたり、妻について石川投手本人が語った言葉の方が印象的です。

妻は25年間「一番近く」で石川雅規を支えた

2026年9月2日。

現役引退を発表した石川雅規投手は、家族への思いも語りました。

妻について、

「パパが辞めたい時、しんどくなったらいつでも言ってね」

と25年間支えてくれたことを明かしています。

また引退発表後のインタビューでは、大学時代からずっと野球をしている自分を見てきた妻だからこそ、引退によって感じる寂しさは自分以上かもしれないとも語りました。

シーズン中は子供たちと夏休みに遊んであげることも難しく、その部分も妻が支えてくれたそうです。

石川投手は、

「家族が僕の一番の応援団だった」

と振り返っています。

プロ野球選手は華やかに見えます。

しかし実際には遠征、キャンプ、練習、試合と、家を空ける時間も非常に長い世界です。

25年間。

しかも大学時代から考えれば、それ以上の年月です。

聡子さんがどれほど長く石川投手の野球人生を見守ってきたのかを考えると、引退は妻にとっても大きな節目だったのでしょう。

引退を伝えると妻と息子たちも涙

石川投手が引退を決断したのは、2026年8月27日の登板後でした。

試合を終えて帰宅すると、まず家族に自分の気持ちを伝えました。

引退会見では、その時の家族の様子も明かしています。

長男は少し涙を流し、次男もさまざまな思いを抱えていた様子。

そして妻も涙を見せたそうです。

石川投手自身は、

「家族みんなで戦いきった」

という思いだったと語っています。

この言葉がすごく印象的です。

マウンドに立っていたのは石川投手一人。

でも25年間を戦っていたのは、一人だけではなかったのですね。

石川雅規には2人の息子がいる

石川雅規投手と妻・聡子さんの間には、2人の息子がいます。

長男が、

石川大耀(いしかわ・だいや)さん。

次男が、

石川栄寿(いしかわ・えいす)さん。

「大耀(だいや)」と「栄寿(えいす)」。

2人の名前を続けて読むと、

「ダイヤ」と「エース」

になります。

野球選手の息子としては、なんとも印象的な名前ですよね。

長男・石川大耀の年齢は?

長男の石川大耀さんは、

2004年12月22日生まれ。

2026年10月現在は21歳です。

東京都港区出身で、横浜市内の病院で誕生。

幼稚園から野球を始めました。

小学6年生だった2016年には、ヤクルトジュニアの一員として12球団ジュニアトーナメントにも出場しています。

父がプロ野球選手。

そして自分も野球。

自然と父の背中を追いかけていったのかもしれません。

長男・大耀は東海大高輪台高校で投手として活躍

大耀さんは東海大高輪中から東海大学付属高輪台高校へ進学。

高校では投手としてプレーしました。

父・雅規投手は左投げですが、大耀さんは右投げ。

身長も高校3年時点で183cmあり、167cmの父より16cmも高い体格でした。

それでも投球スタイルには父の影響が色濃く表れていました。

スローカーブ。

スライダー。

チェンジアップ。

カットボール。

ツーシーム。

球速だけで押すのではなく、多彩な変化球とコントロール、緩急で打者を抑える。

まさに父譲りです。

2022年に父の神宮球場で93球完封

大耀さんが大きく注目されたのが2022年夏の高校野球東東京大会です。

東海大高輪台の3年生だった大耀さんは、駿台学園との2回戦で先発。

場所はなんと、

神宮球場。

父・石川雅規投手が何度も投げてきた本拠地です。

大耀さんは9回を4安打に抑え、1-0で完封勝利。

しかも投球数はわずか93球。

100球未満で完封する、いわゆる**「マダックス」**を達成しました。

実は父・雅規投手もプロでマダックスを経験しています。

父が長年立ち続けた神宮で、息子も完封。

なんともドラマがありますよね。

試合後、大耀さんは父と同じマウンドで投げられたことについて「ワクワクしてドキドキした」という思いを語っていました。

次男・石川栄寿の年齢は?

次男は石川栄寿(えいす)さん。

長男・大耀さんより4歳年下です。

2008年生まれと紹介されており、2026年には18歳になる世代です。

兄ほど詳しい野球経歴は公表されていませんが、幼い頃から父や兄と一緒にメディアに登場したことがあります。

そして2026年10月3日。

父の引退試合という特別な日に、兄と一緒に再び神宮のグラウンドへ立ちました。

石川雅規と息子2人は『ダイヤのA』で声優共演

石川家には、少し変わった親子共演もあります。

2014年9月7日にテレビ東京で放送された人気野球アニメ、

『ダイヤのA』

に石川雅規投手と2人の息子が声優として出演しました。

石川投手は「石川監督」役。

長男・大耀さんは「だいや君」。

次男・栄寿さんは「えいす君」。

親子3人でアニメ出演です。

「大耀=だいや」

「栄寿=えいす」

という名前と『ダイヤのA(エース)』。

あまりにも出来すぎた組み合わせですが、大耀さんは漫画の連載開始より前に生まれています。

親子にとっても忘れられない思い出になったでしょうね。

2026年引退試合で息子2人と再び神宮へ

そして2026年10月3日。

幼かった2人の息子が、大人になって再び父と神宮球場に立ちました。

試合前のファーストピッチセレモニー。

長男・大耀さんが投手。

次男・栄寿さんが打者。

そして父・雅規投手が捕手です。

大耀さんは父の構えるミットへノーバウンド投球。

栄寿さんは打席でスイング。

球場から大きな拍手が送られました。

中継で解説していた古田敦也さんも、2人の息子が父よりかなり大きく成長していることを紹介しています。

長男が高校生だった2022年の時点で183cm。

小さな体でプロのマウンドに立ち続けた父を、息子たちは身長ではとっくに追い越しました。

でも野球への向き合い方や、家族への思いは父から受け継いでいるのかもしれませんね。

甥・佐藤颯真も野球選手だった

石川雅規投手の家族について調べていくと、もう一人注目したい野球選手がいます。

石川投手の甥・佐藤颯真(さとう・そうま)選手です。

佐藤颯真選手も投手。

しかも進学した高校は、

秋田市立秋田商業高等学校。

叔父・石川雅規投手と同じ高校です。

さらにエース投手としてマウンドに立ちました。

叔父と同じ高校。

叔父と同じ投手。

そして叔父が立った甲子園を目指す。

本人にとっても特別な思いがあったことでしょう。

2025年は秋田商業の2年生エースとして活躍

佐藤颯真投手は2025年夏、秋田商業の2年生エースとして秋田大会に出場しました。

7月12日の能代戦では先発し、4回を3安打無失点。

秋田商業は12-0で勝利しました。

実はこの日、叔父の石川雅規投手もヤクルトの試合で登板。

叔父と甥が同じ日に公式戦のマウンドへ立つという出来事もありました。

当時45歳の叔父。

高校2年生の甥。

年齢も舞台も違いますが、同じ日に投手として戦っていたというのは面白いですよね。

2026年は春の秋田王者として夏の甲子園を目指す

高校3年となった2026年。

佐藤颯真投手は秋田商業のエースとして春の秋田県大会優勝を経験。

そして最後の夏を迎えました。

目標はもちろん、

甲子園。

叔父・石川雅規投手は秋田商業時代の1997年、エースとして夏の甲子園に出場しています。

佐藤投手も同じユニホームを着て、同じ聖地を目指しました。

しかし2026年7月9日。

秋田大会2回戦の秋田工業戦で1-5と敗戦。

春の秋田王者・秋田商業は初戦で姿を消しました。

佐藤投手は試合後、秋田商業へ入り、叔父と同じ舞台に立つことを目標にしていたことを明かしています。

残念ながら甲子園には届きませんでした。

それでも叔父と同じ秋田商業のエースとして最後まで投げた経験は、本人にとって大きな財産になったのではないでしょうか。

石川雅規は2025年に24年連続勝利のプロ野球新記録

石川雅規投手の長い現役生活を象徴する記録が、

24年連続勝利。

です。

2002年の新人シーズンから、2025年まで毎年勝利を記録。

2024年に23年連続勝利のプロ野球新記録を樹立し、2025年にはさらに記録を24年へ伸ばしました。

新人時代から40代半ばまで毎年一軍で勝つ。

文字にすると簡単ですが、これはとてつもない記録です。

故障。

不調。

若手の台頭。

監督やコーチの交代。

野球そのものの変化。

24年間にはさまざまな出来事があったはずです。

そのすべてを乗り越えて毎年勝利を残したことこそ、石川投手のすごさだと思います。

2021年には41歳で日本シリーズ勝利

長い現役生活の中でも忘れられないのが2021年です。

ヤクルトは20年ぶりの日本一を達成。

石川投手も日本シリーズ第4戦に先発しました。

オリックス打線を相手に6回1失点。

見事に勝利投手となり、チームの日本一に大きく貢献しました。

この時41歳。

若手だった2002年から約20年。

それでも日本シリーズという大舞台で先発し、勝利投手になれる。

石川投手の技術と準備力が凝縮された試合だったように感じます。

2026年9月に現役引退を発表

そして2026年9月2日。

石川雅規投手は今シーズン限りで現役を引退することを発表しました。

引退を決断したのは8月27日の登板後。

40歳を過ぎてから毎年、

「今年が最後かもしれない」

「この試合が最後かもしれない」

という思いを抱きながらマウンドへ上がっていたそうです。

それでも野球が大好きだから続けてきた。

200勝という目標もありました。

最終的には188勝。

200勝には12勝届きませんでした。

本人も引退直前のインタビューで、200勝への未練があることを冗談交じりに認めています。

でも、188勝という数字だけで石川投手の25年間を測ることはできません。

2026年10月3日、神宮で現役最後の試合

そして迎えた2026年10月3日。

神宮球場で中日ドラゴンズとの引退試合が行われました。

この日は監督、コーチ、選手が背番号「19」を着用。

球場全体が石川雅規一色となりました。

まず7回裏。

石川投手が代打として登場しました。

24年連続安打を記録しており、この打席でヒットを打てば投手として史上初の25年連続安打。

結果は三飛。

惜しくも記録更新とはなりませんでした。

しかし本当のクライマックスは次の回でした。

最後の打者を空振り三振!25年間の現役生活に幕

8回表。

背番号19が神宮のマウンドへ向かいました。

対戦したのは中日の森駿太選手。

石川投手は2球で追い込みます。

そしてカウント1-2。

4球目。

外角低めへのストレート。

森選手のバットは空を切りました。

空振り三振。

これが石川雅規投手、現役最後のアウトです。

最後の打者を三振。

マウンドにはチームメートが集まりました。

石川投手は選手たちと抱擁や握手を交わし、目に涙を浮かべながら神宮のマウンドを降りました。

25年間。

新人王を獲得した22歳の青年が46歳になるまで、同じ球団で投げ続けました。

この光景を見て、胸が熱くなったファンも多かったのではないでしょうか。

石川雅規の通算成績は188勝

石川雅規投手は2002年から2026年まで、ヤクルト一筋で25シーズンを戦いました。

最終的な通算勝利数は、

188勝。

そして最終登板を含め、通算552試合に登板しました。

200勝には届きませんでした。

しかし、

新人王。

最優秀防御率。

24年連続勝利。

306試合連続先発登板。

40代での日本シリーズ勝利。

そしてヤクルト一筋25年。

数字を並べるだけでも、とてつもないキャリアです。

何より167cmという体格で、プロ野球の世界を25年間生き抜いたこと。

その姿に勇気をもらった野球少年は、きっと数え切れないほどいるでしょう。

これからは家族の「一番の応援団」へ

引退を前に石川投手が語った言葉があります。

これまでは、

家族が自分の一番の応援団だった。

だからこれからは、

自分が家族の一番の応援団になる。

25年間、プロ野球選手として家族に支えてもらった石川投手。

これからは妻や2人の息子を応援する側へ回ります。

長男・大耀さん。

次男・栄寿さん。

そして大学時代から人生を共に歩いてきた妻・聡子さん。

引退は野球人生の終わりですが、石川家にとっては新しい生活の始まりでもあります。

ずっと夏休みも野球中心だった父親が、これから家族とどんな時間を過ごすのか。

そんな第二の人生も楽しみですね。

まとめ

今回は「石川雅規 嫁との結婚の馴れ初めや子供(息子)の年齢や名前は?甥も野球選手だった。」というテーマで、石川雅規投手の家族について詳しくご紹介しました。

石川雅規投手は1980年1月22日生まれ。

秋田県出身で、身長167cm。

秋田商業高校、青山学院大学を経て、2001年のドラフトで自由獲得枠によりヤクルトへ入団しました。

2002年の新人シーズンから12勝を挙げて新人王。

2008年には防御率2.68で最優秀防御率を獲得。

さらに306試合連続先発登板のセ・リーグ記録や、24年連続勝利のプロ野球記録など、数々の記録を残しました。

妻は聡子さん。

青山学院大学時代から交際し、2003年オフに結婚しました。

結婚前には客室乗務員として勤務していた女性と紹介されています。

2人の間には、

長男・大耀さん。

次男・栄寿さん。

という2人の息子がいます。

長男・大耀さんは2004年12月22日生まれ。

東海大高輪台高校では投手として活躍し、2022年夏には父の本拠地・神宮球場で93球完封という素晴らしい投球を見せました。

次男・栄寿さんは2008年生まれ。

2014年には父と兄とともにアニメ『ダイヤのA』へ声優として出演しています。

そして2026年10月3日の父の引退試合では、大耀さんが投手、栄寿さんが打者、石川投手が捕手としてファーストピッチセレモニーを行いました。

さらに石川投手の甥・佐藤颯真投手も野球選手。

叔父と同じ秋田商業高校へ進み、2026年には3年生エースとして夏の甲子園を目指しました。

そして石川雅規投手本人は2026年10月3日、神宮球場で現役最後の試合を迎えました。

7回に代打。

8回には投手として登板。

最後の打者を空振り三振に仕留め、25年間の現役生活を締めくくりました。

通算188勝。

決して大きくない167cmの体で、プロ野球の世界を25年間戦い抜いた「小さな大投手」。

その背中をずっと支えてきた妻。

そして、その背中を見ながら大きく成長した2人の息子。

引退試合で親子3人が神宮のグラウンドに立った光景は、石川雅規投手が歩んできた25年間を象徴するような場面だったのではないでしょうか。

石川投手は引退後について、いつか指導者としてスワローズへ恩返しできるよう勉強していきたいという思いも語っています。

ユニホームを脱いでも、石川雅規さんと野球との関係はまだまだ続きそうです。

25年間、本当にお疲れさまでした。

そしてこれからは、ずっと自分を応援してくれた家族の「一番の応援団」として、新しい人生を楽しんでほしいですね。