2025年9月、東京の国立競技場周辺で行われた世界陸上東京大会の男子35km競歩で、見事に銅メダルを掴み取った勝木隼人選手。
そして、その勢いは2026年になっても止まりませんでした。
2026年9月27日、愛知・名古屋アジア競技大会で初めて実施された男子マラソン競歩に出場すると、3時間3分36秒で優勝。
2018年ジャカルタ・パレンバン大会の男子50km競歩に続き、アジア大会で自身2個目となる金メダルを獲得しました。
35歳になっても日本競歩界の第一線で活躍を続ける勝木選手ですが、その競技人生は決して順風満帆だったわけではありません。
「勝木隼人って、そもそもどんな人なんだろう?」「競歩を始めたきっかけは?」「家族はいるの?」「どんなシューズを履いているの?」
そんな疑問を持った方のために、今回は勝木隼人選手の出身地や中学・高校・大学などの学歴、家族、愛用するシューズ、そしてこれまでの競歩実績について詳しくご紹介していきます。
調べてみると、箱根駅伝を夢見た中距離ランナーが故障によってマネージャーとなり、そこから競歩へ転向して世界のメダリストになるという、まるでドラマのような競技人生を歩んでいることが分かりました。
勝木隼人選手のプロフィール
まずは勝木隼人選手の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
- 名前:勝木 隼人(かつき はやと)
- 生年月日:1990年11月28日
- 年齢:35歳(2026年9月現在)
- 出身地:福岡県
- 出身中学校:平野中学校
- 出身高校:武蔵野台高校
- 出身大学:東海大学
- 所属:自衛隊体育学校
- 種目:競歩
- 東京2020オリンピック:男子50km競歩30位
- 2018年アジア大会:男子50km競歩金メダル
- 2025年世界陸上:男子35km競歩銅メダル
- 2026年アジア大会:男子マラソン競歩金メダル
日本陸上競技連盟の資料では、身長168cm、体重62kgと紹介されています。
競歩というと細身の長身選手をイメージする方もいるかもしれませんが、勝木選手は決して大柄な選手ではありません。
それでも長距離競歩で世界トップレベルまで上り詰めたところに、技術や持久力、そして粘り強さの高さが表れているように感じます。
福岡県出身!平野中学校から陸上競技をスタート
勝木選手は1990年11月28日生まれ。
福岡県出身で、大野城市立平野中学校時代から陸上競技に取り組み始めました。
2025年世界陸上で銅メダルを獲得した際には、地元・大野城市からも祝福されています。
しかし、この頃から競歩一筋だったわけではありません。
むしろ勝木選手が本格的に競歩を始めるのは、大学に入ってからです。
中学時代から陸上競技には取り組んでいたものの、当時の勝木少年が将来「歩く」ことでアジア王者となり、世界陸上のメダリストになるとは、本人も想像していなかったのではないでしょうか。
今の結果だけを見るとエリート競歩選手に見えますが、競歩との出会いは意外にも遅かったのです。
武蔵野台高校時代は800mの中距離選手
中学卒業後、勝木選手は福岡県の武蔵野台高校へ進学しました。
高校時代に取り組んでいたのは競歩ではなく、800mなどの中距離種目です。
勝木選手自身も後に、高校時代について「たいして速くもない中距離ランナー」だったと振り返っています。
世界のメダリストが自分の高校時代をこのように表現しているのですから、少し意外ですよね。
しかし、勝木選手の目標は大きなものでした。
高校卒業後は「箱根駅伝を走りたい」という思いを胸に、陸上の名門・東海大学へ進学します。
この時点ではまだ、競歩で世界を目指す未来など考えていませんでした。
箱根駅伝を目指して東海大学へ!故障でマネージャーに
2009年春、勝木選手は箱根駅伝への出場を夢見て東海大学へ進学しました。
当然、目標は長距離ランナーとして箱根駅伝を走ること。
ところが大学入学後、思うように練習を続けることができませんでした。
1年生の頃から故障が続き、選手として十分な練習ができなくなってしまいます。
そして1年生の途中から、長距離ブロックのマネージャーへ。
箱根駅伝を夢見て入った大学で、自分が走るのではなく選手たちを支える側へ回ることになったのです。
本人にとっては、かなり悔しい決断だったのではないでしょうか。
しかし、この挫折が人生を大きく変えることになります。
大学2年生で競歩と出会い人生が変わる
大学2年生の春、競歩コーチから声をかけられたことをきっかけに、勝木選手は競歩を始めました。
最初はマネージャーを続けながら競歩にも取り組む「二刀流」のような生活。
その後、3年生になる頃から競歩に専念するようになります。
すると、眠っていた才能が一気に開花しました。
競歩を始めて間もない大学2年生の秋には、日本インカレ10000m競歩で5位入賞。
さらに約半年後には日本選手権20km競歩に出場し、1時間23分57秒で7位に入りました。
そして大学3年生、4年生では日本インカレ男子10000m競歩を連覇。
2011年は41分42秒70、2012年は40分57秒05で優勝しています。
箱根駅伝を目指していた選手が、故障によってマネージャーになり、そこで出会った競歩で日本一になる。
人生は本当に何がきっかけになるか分からないものですね。
当時は「箱根駅伝を走れなかった」という挫折だったかもしれません。
しかし今振り返れば、その挫折がなければ世界陸上のメダリスト・勝木隼人は誕生していなかった可能性もあります。
うまくいかなかった出来事が、何年も経ってから「あれが転機だった」と思えることもある。
勝木選手の競技人生には、そんなことを感じさせられます。
大学卒業後はアルバイト生活!2014年に自衛隊へ
大学時代に日本インカレを連覇した勝木選手ですが、卒業後すぐに恵まれた競技環境を手に入れたわけではありませんでした。
大学4年時は故障の影響もあり、ロードシーズンで十分な結果を残すことができず、卒業後はいったん福岡へ戻ります。
そこでアルバイトをしながら競技を続けました。
そして2014年、競技を続けるため一般採用で自衛隊へ入隊。
当初から自衛隊体育学校のエリートアスリート枠に入ったわけではなく、まず一般の自衛官としてスタートしています。
その後、2015年度から自衛隊体育学校への加入が認められ、競歩に専念できる環境を手にしました。
自衛隊体育学校には、谷井孝行さんや荒井広宙さんなど、世界大会で活躍した日本を代表する競歩選手が在籍。
こうした世界レベルの選手たちとトレーニングを重ねる中で、勝木選手も急速に力を伸ばしていきました。
2015年には50km競歩へ初挑戦し、いきなり4時間を切る3時間59分03秒をマーク。
ここから長距離競歩を主戦場とする勝木隼人選手の本格的な世界への挑戦が始まります。
2018年アジア大会50km競歩で金メダル
勝木選手が世界に名前を知られる大きなきっかけとなったのが、2018年です。
同年5月に中国・太倉で開催された世界競歩チーム選手権では、男子50km競歩で3時間44分31秒を記録して銀メダル。
日本勢は荒井広宙選手が金、勝木選手が銀、丸尾知司選手が銅となり、表彰台を独占しました。
そして8月のジャカルタ・パレンバンアジア大会。
男子50km競歩に出場した勝木選手は4時間3分30秒で優勝し、金メダルを獲得します。
ただ、本人は優勝後も満足一色ではありませんでした。
レース中に歩型違反によるペナルティゾーンへ入ったことを反省し、自分の歩型にはまだ改善点があると振り返っています。
アジア大会で金メダルを獲得しても、自分の課題に目を向ける。
この姿勢も、その後長く第一線で活躍できている理由の一つなのかもしれませんね。
東京五輪50km競歩に出場するも30位
2021年には、勝木選手にとって念願だったオリンピック出場が実現しました。
東京2020オリンピック男子50km競歩の日本代表として出場。
しかし結果は30位。
世界の舞台で思い描いていた結果を残すことはできませんでした。
その後、国際大会の競歩種目は50kmから35kmへと移行していき、勝木選手も新しい距離への対応を迫られます。
2022年の世界競歩チーム選手権35kmでは43位。
2023年杭州アジア大会の混合35km競歩では日本チームの一員として出場しましたが、勝木選手自身は途中棄権。
日本チームは石田昴選手、渕瀬真寿美選手らのタイムによって銀メダルを獲得しました。
かつて50kmでアジア王者となった勝木選手でしたが、30代に入ってからは思うような結果を残せない時期が続いていきます。
2024年には引退危機!20km競歩で復活
勝木選手に大きな危機が訪れたのが2024年です。
2月の日本選手権20km競歩では11位。
パリオリンピックを目指していましたが、代表入りすることはできませんでした。
年齢は33歳。
長く在籍してきた自衛隊体育学校で競技を続けられるのかという厳しい状況にも直面しました。
しかし、勝木選手はここで諦めません。
3月17日に石川県能美市で開催された全日本競歩能美大会男子20km競歩に出場すると、1時間18分43秒という自己ベストで初優勝。
2位の川野将虎選手を11秒差で抑えました。
それまで長距離型だった勝木選手にとって、20kmでの1時間18分台は大きな意味を持つ記録でした。
結果としてパリ五輪出場には届きませんでしたが、このスピード強化が翌年の世界陸上へつながっていきます。
厚底シューズが勝木隼人の競歩を変えた
勝木選手の復活を語るうえで欠かせないのが「厚底シューズ」です。
マラソン界ではすっかり当たり前となった厚底シューズですが、近年は競歩でも使用する選手が増えています。
勝木選手も厚底シューズを取り入れ、スピード強化に取り組んできました。
本人によると、厚底シューズによって1kmあたり5秒ほどタイムに変化が出ることもあるそうです。
仮に35kmなら単純計算で175秒。
もちろん実際のレースはそれほど単純ではありませんが、長距離競歩においてシューズが大きな影響を与えることは想像できますね。
一方、厚底には難しさもあります。
反発力が強いため、競歩特有のフォームを崩しやすくなるのです。
競歩では、常にどちらかの足が地面に接していなければならず、前脚は接地から身体の真下に来るまで膝を伸ばす必要があります。
反発力の高いシューズを使いながら、この厳しい歩型を守らなければなりません。
勝木選手は厚底シューズに合わせて身体の使い方を試行錯誤し、フォームを適応させていきました。
単に「良い靴に替えたら速くなった」という話ではなく、新しい道具を自分の技術に合わせる努力を続けた結果だったのですね。
勝木隼人のシューズはミズノ「ウエーブリベリオン PRO 3」
では現在、勝木選手はどのシューズを使用しているのでしょうか。
2025年世界陸上東京大会の男子35km競歩で銅メダルを獲得した際に履いていたのは、ミズノの厚底レーシングシューズ「ウエーブリベリオン PRO 3」です。
勝木選手自身も、このシューズを自身にとってベストな勝負シューズとして挙げています。
ウエーブリベリオン PROシリーズは、独特なソール形状を持つミズノのレーシングモデル。
勝木選手は、その反発力を競歩の推進力につなげています。
一方で前述したように、反発が強いほどフォーム維持も難しくなります。
厚底シューズの性能だけに頼るのではなく、その力を競歩の技術でコントロールする必要があるわけですね。
35歳になっても新しい道具や技術を積極的に取り入れ、自分自身を変えていく。
ベテランになるほど従来のスタイルにこだわりそうなものですが、必要なら変えることを恐れない姿勢も勝木選手の強さなのではないでしょうか。
結婚している?2人の子どもを持つ父親としての素顔
トップアスリートのプライベートも気になるところですよね。
勝木選手の妻について、名前や年齢、職業など詳しいプロフィールは公表されていません。
また、インターネット上には結婚時期についてさまざまな情報がありますが、信頼できる公式プロフィールや本人インタビューから具体的な結婚時期までは確認できませんでした。
そのため、ここでは推測による情報は控えたいと思います。
一方、勝木選手に子どもがいることは本人の発言から確認できます。
2025年世界陸上当時、勝木選手は6歳の長男と2歳の次女を持つ2児の父親でした。
しかも家族は、競技生活にとって非常に大きな存在になっているようです。
勝木選手は「あまり遠征に行かない」理由について、2人の子どもと一緒にいる時が一番コンディションが良いという趣旨の話をしています。
世界陸上前には子どもたちから「金メダルを取ってね」と言われ、それがプラスになっているとも話していました。
世界のトップアスリートというと、競技だけに集中してストイックな生活を送っているイメージがあります。
しかし勝木選手の場合は、家族と過ごす時間そのものが心身の良い状態につながっているのですね。
世界陸上で銅メダルを獲得した直後にも、子どもたちがどんな反応をするだろうと気にする「お父さん」の顔を見せていました。
世界と戦うアスリートでありながら、家に帰れば2人の子どもの父親。
そんな一面を知ると、少し親近感が湧いてきますね。
2025年世界陸上東京大会で悲願の銅メダル
そして勝木選手の長い競技人生が大きく報われたのが、2025年9月13日の世界陸上東京大会でした。
男子35km競歩に出場した勝木選手は、序盤から積極的に先頭集団でレースを進めます。
本人によると、最初から前へ出るプランを立て、20kmあたりまでに集団を8人ほどまで絞りたいと考えていたそうです。
その作戦通りレースは徐々に人数が絞られ、メダル争いへ。
厳しい暑さの中でも粘り強く歩き続け、2時間29分16秒で3位。
自身初となる世界陸上の銅メダルを獲得しました。
しかもこれは東京2025世界陸上における日本選手団のメダル第1号。
34歳で初めて世界陸上の表彰台に立ったことになります。
レース後の第一声は、喜びだけではありませんでした。
「金メダル、取りたかったな」
世界の銅メダリストになっても、まだ上を見ている。
何度も挫折を経験しながら競技を続けてきた勝木選手らしい言葉に感じます。
この活躍によって、日本陸連アスレティックス・アワード2025では優秀選手賞にも選ばれました。
2025年にはマラソン競歩で2時間55分28秒を記録
世界陸上後も、勝木選手は新しい挑戦を続けます。

世界陸連は2026年から国際大会の競歩種目を、それまでの20km・35kmから、ハーフマラソンと同じ21.0975km、フルマラソンと同じ42.195kmへ変更しました。
これに先駆け、2025年10月の全日本競歩高畠大会では、日本で初めて公認の「マラソン競歩」が実施されました。
勝木選手は42.195kmを2時間55分28秒で歩き、初代王者となりました。
フルマラソンと同じ距離を3時間以内で「歩く」。
普段の生活で考えると、ちょっと想像しにくい速さですよね。
1km平均にすると約4分09秒。
一般の市民ランナーであれば、このペースで走り続けるだけでも大変です。
それを競歩のルールを守りながら42.195km続けるのですから、トップレベルの競歩選手がいかに速いのかが分かります。
2026年世界競歩チーム選手権でも初代世界王者に
さらに2026年4月、ブラジル・ブラジリアで開催された世界競歩チーム選手権でも勝木選手は大きな結果を残しました。
新種目となった男子マラソン競歩に出場し、3時間4分58秒で優勝。
男子マラソン競歩の初代世界王者となり、日本男子の団体優勝にも貢献しました。
2025年世界陸上銅メダルから、
全日本競歩高畠大会マラソン競歩優勝、
世界競歩チーム選手権優勝。
30代半ばになってから、むしろ競技人生のピークがもう一度訪れたような活躍です。
若い頃からエリート街道を一直線に歩いてきた選手ではありません。
故障で箱根駅伝を諦め、マネージャーを経験し、大学卒業後はアルバイトをしながら競技を続け、30代になってからも五輪代表落選や引退危機を経験しました。
だからこそ、この復活には胸を打たれるものがありますね。
2026年愛知・名古屋アジア大会で2度目の金メダル
そして2026年9月27日。
愛知・名古屋アジア競技大会で初めて実施された男子マラソン競歩に、勝木選手が日本代表として出場しました。
2018年ジャカルタ大会では50km競歩で金メダル。
2023年杭州大会では混合35km競歩に出場しており、今大会が3大会連続のアジア大会となりました。
男子マラソン競歩は42.195km。
勝木選手はスタートから先頭集団でレースを進めます。
中盤以降も中国勢などと優勝争いを繰り広げましたが、30kmを過ぎてから勝木選手が抜け出します。
33km付近では単独トップとなり、その後は独歩状態へ。
途中には「ベント・ニー」と呼ばれる歩型違反の判定を受ける場面もありましたが、大きく崩れることなく最後までトップを守りました。
そして3時間3分36秒でフィニッシュ。
見事、金メダルを獲得しました。
同じ日本代表の諏方元郁選手も3時間8分57秒で銅メダルを獲得し、日本勢2人が表彰台に上がっています。
勝木選手にとっては、2018年ジャカルタ大会の50km競歩以来となるアジア大会2度目の金メダル。
しかも50km競歩からマラソン競歩へと距離やルールを取り巻く環境が変化する中、8年の時を経て再びアジアの頂点に立ったことになります。
2018年の金メダルが27歳。
そして今回が35歳。
8年間もアジアのトップクラスで戦い続けていること自体、本当にすごいことではないでしょうか。
勝木隼人の主な競歩実績
ここまでの勝木選手の主な実績を整理してみましょう。
- 2011年 日本インカレ10000m競歩 優勝
- 2012年 日本インカレ10000m競歩 優勝
- 2018年 世界競歩チーム選手権50km競歩 銀メダル・団体金メダル
- 2018年 ジャカルタ・パレンバンアジア大会50km競歩 金メダル
- 2019年 世界陸上ドーハ大会50km競歩 27位
- 2021年 東京オリンピック50km競歩 30位
- 2023年 杭州アジア大会混合35km競歩 日本チーム銀メダル
- 2024年 全日本競歩能美大会20km競歩 優勝
- 2025年 日本選手権35km競歩 優勝
- 2025年 世界陸上東京大会35km競歩 銅メダル
- 2025年 全日本競歩高畠大会マラソン競歩 優勝
- 2026年 世界競歩チーム選手権マラソン競歩 金メダル
- 2026年 愛知・名古屋アジア大会マラソン競歩 金メダル
こうして並べてみると、勝木選手のキャリアの面白さがよく分かります。
20代後半でアジア王者となり、そのまま順調に世界のトップへ駆け上がったわけではありません。
東京五輪30位、パリ五輪代表落選などの苦しい時期を経て、30代半ばになって世界陸上で初メダル。
そして35歳で再びアジア王者になりました。
「遅咲き」という言葉だけでは表現しきれない、何度でも立ち上がってきた競技人生です。
まとめ
今回は、競歩の勝木隼人選手について、出身地や中学・高校・大学などの学歴、家族、愛用するシューズ、そしてこれまでの競技実績をご紹介しました。
勝木選手は1990年11月28日生まれ、福岡県出身。
平野中学校で陸上競技を始め、武蔵野台高校では800mなどの中距離種目に取り組みました。
箱根駅伝への憧れから東海大学へ進学しましたが、故障によって1年生の途中からマネージャーへ。
大学2年生の春に競歩と出会い、マネージャーと兼務しながら競技を始めると才能を開花させ、日本インカレ10000m競歩を2連覇しました。
大学卒業後はいったん福岡でアルバイトをしながら競技を続け、2014年に一般採用で自衛隊へ入隊。
2015年度から自衛隊体育学校に所属し、本格的に世界を目指す環境を手にしています。
2018年にはジャカルタ・パレンバンアジア大会50km競歩で金メダル。
2021年には東京オリンピックにも出場しました。
しかし、その後は思うような結果を残せず、パリ五輪代表入りも逃すなど苦しい時期を経験します。
それでも厚底シューズを取り入れながらスピードと歩型を磨き直し、2025年世界陸上東京大会35km競歩で自身初となる銅メダルを獲得。
現在の勝負シューズには、ミズノ「ウエーブリベリオン PRO 3」を使用しています。
プライベートでは2人の子どもを持つ父親でもあり、家族と過ごす時間が競技にも良い影響を与えているという勝木選手。
そして2026年には世界競歩チーム選手権のマラソン競歩で優勝し、9月27日の愛知・名古屋アジア大会でも3時間3分36秒で金メダルを獲得しました。
35歳になっても進化を続ける姿を見ていると、「もう年齢的に難しい」「今さら新しいことを始めても遅い」と簡単に決めつけてはいけないのだと思わされます。
箱根駅伝を夢見たランナーが故障し、マネージャーになり、大学から始めた競歩で世界のメダリストになる。
そして一度は競技人生の岐路に立ちながら、30代半ばになって再び世界とアジアの頂点へ。
遠回りに見えた道も、振り返ればすべて今につながっていたのかもしれません。
これからも「やる気、元気、勝木!」の精神で歩き続ける勝木隼人選手が、競歩界でどんな新しい歴史を刻んでくれるのか注目していきたいですね。





