2026年9月18日、男子バスケットボール日本代表がアジア競技大会準決勝で中国を97-78で撃破し、なんと64年ぶりの決勝進出を果たしました!
決勝の相手は韓国。
この中国戦で主将としてチームを引っ張り、11得点5リバウンド9アシストの活躍を見せたのが宇都宮ブレックスの小川敦也選手です。
今回はそんな小川選手の出身中学・高校、お父様のこと、血液型などのプロフィールをまとめてご紹介します。
小川敦也は新潟が生んだ190cmの司令塔、まずは基本プロフィールから
小川敦也選手は2002年6月24日生まれ、新潟県出身です。
身長190cmという恵まれた体格を持ちながら、パワーだけでなく繊細なボールハンドリングも武器にするポイントガードとして、日本のバスケ界で頭角を現してきました。
血液型については、B.LEAGUE公式プロフィールでは「-」となっており、現時点では公表されていないようです。
一方、公式プロフィールによると趣味は「レイクレ」やサウナ、試合前夜には験担ぎとして「ヤクルト1000」を飲むというルーティンを持っているそうです。
オフの過ごし方は「温泉」、好きな食べ物は「オムライス」と紹介されています。
現在は栃木県宇都宮市を本拠地とする宇都宮ブレックスに所属し、背番号は「7」。
憧れの選手としてチームメイトの比江島慎選手を挙げており、背番号「7」を選んだ理由についても「比江島さんの連番」と紹介されています。
中学時代は新潟市立鳥屋野中学校でキャプテンとして活躍
小川選手が通っていたのは、新潟市立鳥屋野中学校です。
地元・新潟の公立中学に通いながらバスケットボール部に所属し、ポイントガードとしてチームの司令塔を担っていました。
そして中学時代にはゲームキャプテンとしてチームをまとめ上げ、2017年の全国中学校バスケットボール大会で準優勝という輝かしい結果を残します。
中学生の段階から大型ガードとして注目される存在で、U15世代の育成キャンプにも招集されていました。
この頃の小川選手は、自ら得点を狙うことよりもアシストを意識する選手だったそうです。
そんな小川選手がさらに得点力を磨くことになるのが、高校時代でした。
「日本一」を目指して京都の名門・洛南高校へ
中学卒業後、小川選手は新潟を離れ、京都府京都市にあるバスケットボールの強豪校・洛南高等学校へ進学します。
洛南を選んだ理由について、小川選手自身は「個人でなくチームで戦っていて、留学生に頼らず日本人で日本一を目指しているところ」にひかれたと語っています。
洛南高校といえば、宇都宮ブレックスの主力であり、小川選手自身が憧れの存在として名前を挙げる比江島慎選手の母校でもあります。
小川選手は洛南でオールラウンドな能力を磨き、高校3年時には背番号「5」を背負ってチームの中心選手へと成長しました。
高校2年時には国際的な育成キャンプ「バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ・アジア」に参加するなど、国内トップクラスの高校生として注目を集めます。
そして高校最後の2020年ウインターカップでは、洛南高校がベスト4へ進出。
しかし小川選手自身は準々決勝の正智深谷高校戦で左足首を負傷し、準決勝の東山高校戦には出場できませんでした。
チームは準決勝で敗れ、小川選手の高校最後の大会は悔しさの残る形で幕を閉じました。
筑波大学から特別指定選手を経てプロの道へ
高校卒業後は筑波大学に進学し、大学バスケ界屈指の大型ポイントガードとして活躍します。
2021年には第61回関東大学バスケットボール新人戦で優秀選手賞を受賞。

さらに2023年の第75回全日本大学バスケットボール選手権大会では、筑波大学の3位に貢献し、優秀選手賞・アシスト王・MIPを獲得するなど、大学トップレベルの実力を見せました。
そして大学在学中の2022年12月24日、宇都宮ブレックスに特別指定選手として登録されます。
2023年2月5日、地元新潟のアオーレ長岡で行われた新潟アルビレックスBB戦でB.LEAGUEデビュー。
18分30秒の出場で8得点4アシストを記録する鮮烈なデビューを飾り、「二十歳の大器」が故郷で存在感を示しました。
その後、2024年1月には筑波大学バスケットボール部を退部し、大学3年生ながら宇都宮ブレックスとプロ契約。
日本代表になるという目標を実現するため、大学卒業を待たずプロの世界へ飛び込みました。
日本代表としても着実にキャリアを積み重ねています。
2021年にはFIBA U19ワールドカップ、2023年にはFISUワールドユニバーシティゲームズに出場。
そして2026年のアジア競技大会では、ついに男子日本代表の主将という大役を任されました。
準決勝の中国戦では11得点5リバウンド9アシストを記録。
日本の64年ぶりとなる決勝進出を支える司令塔として、大きな存在感を放っています。
お父様は元日本代表の小川忠晴さん、バスケ一家に育った環境
小川敦也選手のバスケットボール人生を語るうえで欠かせないのが、お父様の存在です。
父・小川忠晴さんもまた、元日本代表として活躍したバスケットボール選手でした。
小川忠晴さんは専修大学を経て、1992年にいすゞ自動車へ入社。
いすゞ自動車では日本リーグ優勝5回、オールジャパン優勝5回に貢献するなど、黄金時代を支えた選手のひとりです。
1998年には日本代表に選出され、バンコク・アジア大会にも出場しています。
その後は新潟アルビレックスでもプレー。
現役晩年には大分ヒートデビルズへ移籍し、プレイング・アシスタントコーチを務めました。
現役引退後は指導者の道へ進み、2008-09シーズンには大分ヒートデビルズのヘッドコーチ、2009年からはライジング福岡のヘッドコーチなどを歴任。
さらに女子バスケットボールでも指導者として活動しています。
ちなみに小川敦也選手は、バスケットボールを始めたきっかけについて公式プロフィールで「父がやっていたから」と回答しています。
日本代表経験者である父の背中を見て育った環境が、小川敦也選手のバスケットボール人生に大きな影響を与えたことは間違いなさそうですね。
イケメンとの呼び声も高い小川選手、彼女はいるの?
コート上でのクレバーなプレーだけでなく、爽やかなルックスでも注目を集めている小川選手。
2025年に開催された「B.LEAGUE モテ男No.1決定戦」では、なんと18万1751ポイントを獲得して見事グランプリに輝き、9代目「モテ男No.1」に選ばれました。
グランプリ受賞選手の恒例企画として、女性ファッション誌『anan』のグラビアにも登場。
普段のコートでは見せない大人っぽい一面を披露して話題になりました。
さらに同年7月発売の『anan』では、憧れの先輩・比江島慎選手との対談も実現しています。
では、これだけ人気のある小川選手に彼女はいるのでしょうか?
調査したところ、現時点で小川選手本人が交際相手の存在を公表しているという信頼できる情報は確認できませんでした。
そのため、「彼女がいる」「現在はバスケットボール一筋」などと断定することはできません。
プライベートについては本人から公表されていない以上、今後の情報を待ちたいところですね。
まとめ
今回は、アジア競技大会での64年ぶりの決勝進出という快挙を支えた、小川敦也選手の出身中学・高校や父親、血液型などのプロフィールをご紹介してきました。
小川選手は新潟市立鳥屋野中学校でゲームキャプテンとして全国準優勝を経験し、「日本一」を目指して京都の名門・洛南高校へ進学。
洛南で大型ポイントガードとして成長すると、筑波大学を経て宇都宮ブレックスへとプロへの階段を駆け上がってきました。
身長は190cm。
血液型についてはB.LEAGUE公式プロフィールでも公表されていません。
試合前夜にヤクルト1000を飲むというルーティンを持つ一方、コートに立てば190cmの体格を生かした鋭いドライブでチームを引っ張る頼れる司令塔です。
父・小川忠晴さんも元日本代表選手というバスケットボール一家で育ち、自身も2026年アジア競技大会では男子日本代表の主将を任されるまでに成長しました。
さらに2025年には「B.LEAGUE モテ男No.1決定戦」でグランプリに輝くなど、コート内外で注目を集めています。
2026年9月18日の中国戦では11得点5リバウンド9アシストを記録し、日本を64年ぶりとなるアジア競技大会決勝の舞台へ導く原動力の一人となりました。
決勝の相手は韓国。
グループフェーズでは83-100で敗れた相手との再戦となり、試合は9月20日19時40分から行われる予定です。
日本男子バスケットボールにとって悲願となるアジア競技大会初優勝へ。
主将としてチームを引っ張る小川敦也選手の活躍から、これからも目が離せませんね!