榊原七斗の父親・母親や兄弟は?家族構成と出身中学・高校を調査!

2026年10月22日、プロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースが明治大学の榊原七斗(さかきばら・ななと)選手を1位で単独指名し、交渉権を獲得しました!

阪神は青山学院大学の渡部海選手らの指名も予想されていましたが、最終的に選んだのは走攻守三拍子がそろった大学球界屈指の外野手、榊原選手でした。

他球団との競合を避けて交渉権を獲得する、いわゆる「一本釣り」に成功したことも話題になっています。

榊原選手は指名を受けた喜びと安堵の気持ちを語り、プロ野球の世界でプレーできることへの期待を口にしました。

また、憧れの選手である阪神の近本光司選手を超えることも目標に掲げています。

同じ中堅手として活躍する近本選手に憧れてきた青年が、その近本選手と同じ球団からドラフト1位指名を受けるなんて、何とも夢のある話ですよね。

さらに、榊原選手が所属する明治大学は、2010年から続くドラフト指名選手の輩出記録を17年連続に伸ばしました。

これまで上田希由翔選手や宗山塁選手など、数多くのプロ野球選手を送り出してきた名門大学。

榊原選手も、その歴史に新たな1ページを刻むことになりました。

そんな榊原選手について、「父親や母親はどんな人?」「兄弟はいるの?」「出身中学や高校はどこ?」と気になる方も多いのではないでしょうか。

実は、調べてみると、ご両親のちょっとした気付きが、現在の榊原選手の大きな武器につながっていたことが分かりました。

さらに、野球を始めるきっかけになったお兄さんの存在や、「七斗」という名前に込められた素敵な意味も明らかになっています。

今回は、阪神からドラフト1位指名を受けた榊原七斗選手の家族構成や父親・母親、兄弟、出身中学・高校、そして明治大学での活躍について詳しくご紹介します。

榊原七斗のプロフィール|生年月日・出身地・身長体重・血液型

まずは、榊原七斗選手の基本的なプロフィールから整理しておきましょう。

榊原七斗(さかきばら・ななと)選手は、2004年7月15日生まれ。

2026年10月現在、22歳です。

出身地は兵庫県高砂市で、星座はかに座。血液型についてはO型と紹介されることがありますが、公式プロフィールでの確認はできていません。

身長は173cm、体重は79kg。

左投げ左打ちの外野手で、主に中堅手として活躍しています。

173cmという身長は、プロ野球選手の中では決して大柄な方ではありません。

それでも、榊原選手は俊足、強肩、長打力を兼ね備えた、走攻守三拍子がそろった選手として高く評価されています。

大学野球では、打撃、長打力、走塁、守備、送球という5つの能力に優れた「5ツール・プレーヤー」とも評される存在です。

50メートル走は5秒9〜6秒0ほどで、一塁到達タイムは4.1秒前後。

遠投は110メートルを誇り、高校時代には投手として最速144キロを計測したこともあります。

そして、大学では通算12本塁打を記録するなど、単に足が速いだけではない打撃の力も証明してきました。

身長だけを見ると小柄な印象ですが、これだけの能力を備えているのですから、阪神がドラフト1位で評価したのも納得できますよね。

ちなみに、趣味については「スーパーマリオスタジアム ファミリーベースボール」や「6ボールパズル」、料理をテーマにしたゲーム「Overcooked(オーバークック)」などを好むという情報もあります。

好きな食べ物はプリンで、ニックネームは「さかき」「さかきば」と紹介されています。

こうした私生活に関する情報は、公開時期や出典によって確認できる範囲が異なりますが、野球一筋という印象とは少し違った親しみやすい一面が感じられますね。

また、座右の銘として「おかげさまで」という言葉が紹介されることもあります。

実際に、明治大学野球部のインタビューでは、ご両親を尊敬する人物として挙げており、周囲への感謝を大切にする人柄がうかがえます。

榊原七斗の父親・母親はどんな人?野球を始めたきっかけも調査

では、ここから本題のご両親について見ていきましょう。

榊原選手は、兵庫県高砂市で生まれ育ち、幼いころから野球に親しんできました。

その野球人生の出発点には、お父さんやお母さんの存在があったようです。

父親の名前や職業は?野球との関係も気になる

まず、お父さんについてですが、名前や年齢、職業などの詳しいプロフィールは公表されていません。

そのため、元野球選手だったのか、現在どのようなお仕事をされているのかについても、確かな情報は確認できませんでした。

ただし、榊原選手が野球を始めるにあたって、お父さんが影響を与えたという情報があります。

一方、明治大学野球部の公式ブログでは、本人が兄の影響で野球を始めたと語っています。

このことから、お父さんやお兄さんなど、家族が野球に親しむ環境の中で育った可能性が考えられます。

もっとも、お父さん自身の野球経験については確認できていないため、元選手だったと断定することはできません。

子供がスポーツを始めるきっかけは、家族が楽しそうにプレーしている姿だったり、一緒にキャッチボールをした経験だったりすることも多いですよね。

榊原選手も、そんな身近な環境から野球に興味を持つようになったのかもしれません。

そして、お父さんについてもう一つ注目したいのが、幼いころの投げ方に関するエピソードです。

両親の気付きが左投げのきっかけに!小学1年生で転向

榊原選手の大きな武器といえば、左投げの強肩です。

実は、この左投げになったきっかけには、ご両親が関わっていました。

2026年9月のFull-Countの取材によると、榊原選手は幼いころ、右で投げるよりも左で投げた方がボールに勢いがあることに、ご両親が気付いたそうです。

そして、左投げ左打ちへと変わったことを本人が明かしています。

野球を始めた小学1年生ごろの出来事だったとされています。

これは、なかなか興味深いエピソードですよね。

子供のころは、右利きか左利きかがはっきりしていなかったり、何となく周囲と同じようにプレーしていたりすることもあります。

そんな中、ご両親が「左の方がいいボールを投げている」と気付いたことが、後の野球人生に大きく影響したのです。

榊原選手は高校時代に最速144キロを投げる左腕として活躍し、大学では外野手として遠投110メートルの強肩を武器にしてきました。

もし幼いころの投げ方がそのままだったら、今とは違った選手になっていた可能性もあります。

もちろん、現在の実力は本人の努力によるものですが、その才能に早い段階で気付いたご両親の存在も大きかったのでしょう。

何気ない日常の中で、子供の得意なことを見つけてあげる。

親としては、そんな小さな気付きが将来につながることもあるのだと感じさせられる話ですね。

母親はどんな人?高校最後の夏を支えた家族の存在

続いて、お母さんについてです。

お母さんも一般の方とみられ、名前や職業、年齢などの詳しい情報は公表されていません。

ただ、左投げへの転向に関するエピソードでは、ご両親が一緒に気付いたことが紹介されています。

つまり、お母さんも幼いころから榊原選手の野球を身近で見守ってきたことが分かります。

また、榊原選手は高校時代、最後の夏の兵庫大会で敗退し、甲子園出場を果たせませんでした。

ネット上では、その際にお母さんが励ましたという話も紹介されていますが、具体的な言葉や当時のやり取りについては、今回確認できた資料では裏付けが取れていません。

そのため、実際にどのような会話があったのかは断定できません。

それでも、幼いころから強豪高校、そして大学まで野球を続けてきたことを考えると、家庭の理解や協力は大切だったのではないでしょうか。

練習や試合の送迎、食事、体調管理など、学生アスリートを支える家族の役割は決して小さくありません。

もちろん、榊原選手の家庭で誰がどのようなサポートをしていたのかは分かりませんが、ご両親への感謝を語る本人の姿からは、家族を大切にしている様子が伝わってきます。

榊原七斗が「両親を尊敬している」と語った理由

榊原選手の家族について調べる中で、私が特に印象に残ったのが、明治大学野球部の公式ブログに掲載されたインタビューです。

2023年7月14日の1年生紹介記事で、榊原選手は尊敬する人物を聞かれ、「両親」と回答しています。

さらに、尊敬できるところばかりだという趣旨の言葉も語っていました。

大学に入学したばかりの18歳のころに、尊敬する人物として迷わず両親を挙げられるというのは、素敵なことですよね。

野球の世界には、憧れのプロ野球選手や尊敬する指導者がたくさんいるはずです。

それでも、一番身近な家族の存在を大切にしていることが伝わってきます。

また、榊原選手が大切にしていると紹介される「おかげさまで」という言葉とも、どこか通じるものを感じます。

プロ野球選手になるまでには、本人にしか分からない苦労や努力があったことでしょう。

その一方で、周囲の支えがあったことも忘れずにいる。

そんな姿勢は、これからプロの世界で長く活躍していくうえでも、大切な強みになるのではないでしょうか。

榊原七斗の兄弟は?兄の影響で野球を始めたエピソード

続いて、榊原選手の兄弟について調べてみました。

ここは、今回の記事で特に注目したいポイントです。

というのも、榊原選手自身が、野球を始めたきっかけについて「兄の影響」と明言しているからです。

榊原七斗には兄がいる!本人が公式ブログで明かしていた

明治大学野球部の公式ブログでは、2023年7月のインタビューで、榊原選手が兄が野球をしていたことを明かしています。

さらに、侍ジャパン公式サイトの選手プロフィールでも、野球を始めたきっかけとして兄の影響を挙げています。

つまり、榊原選手にお兄さんがいることは、単なるネット上の噂ではなく、本人の発言によって確認できる情報なのです。

これは、家族構成を調べるうえで大きな手がかりになりますね。

ただし、お兄さんの名前や年齢、現在の職業などは公表されていません。

ネット上では3歳年上という情報も見られますが、今回確認した公式資料では年齢差まで裏付けることはできませんでした。

また、お兄さん以外に弟や姉、妹がいるかどうかも明らかになっていません。

そのため、確認できる家族は父親、母親、兄、本人の4人ですが、家族全員が4人だけとは断定できません。

兄も野球選手だった?どんな影響を受けたのか

榊原選手のお兄さんも、野球をしていたことが分かっています。

明治大学の公式ブログでは、兄が野球をしていたことが自分も野球を始めるきっかけになったと語っています。

ただし、お兄さんがどの学校やチームでプレーしていたのか、現在も野球に関わっているのかについては、確認できる情報がありません。

元プロ野球選手だったという情報も見つかっていません。

そのため、現時点では「野球経験のある兄がいる」というところまでが、確かな情報になります。

それでも、お兄さんの存在が榊原選手の人生に与えた影響は大きかったのでしょう。

小さな弟にとって、先に野球を始めているお兄さんは、身近な憧れの存在だったのかもしれません。

兄がボールを投げたり、バットを振ったりしている姿を見て、自分もやってみたいと思う。

そんな光景を想像すると、何だか微笑ましいですよね。

今では阪神からドラフト1位指名を受けるまでに成長した榊原選手。

お兄さんにとっても、弟の活躍はうれしい出来事だったのではないでしょうか。

父親と兄のどちらが野球を始めたきっかけ?

榊原選手については、「父親の影響で野球を始めた」という情報と、「兄の影響で野球を始めた」という情報の両方があります。

一見すると、どちらが正しいのか迷ってしまいますよね。

ただ、実際には両方が関係していたとしても不思議ではありません。

父親が野球に親しむ環境をつくり、兄が先にプレーしていたことで、榊原選手も自然と野球を始めるようになった。

そうした可能性も考えられます。

ただし、父親と兄が具体的にどのような役割を果たしたのかについて、本人が詳しく説明した資料は確認できませんでした。

公式に確認できる発言としては、兄が野球をしていたことがきっかけになったという内容です。

さらに、ご両親が左投げの才能に気付いたというエピソードもあります。

こうして整理すると、榊原選手の野球人生には、家族がさまざまな形で関わっていたことが分かります。

野球を始めるきっかけをくれた兄。

左投げの可能性を見つけてくれた両親。

そして、その環境の中で努力を重ねてきた榊原選手自身。

家族とのつながりを知ると、ドラフト1位という結果がより感慨深く感じられますね。

榊原七斗の名前の由来は北斗七星!家族の願いが込められていた

榊原選手の家族について、もう一つ紹介したいのが「七斗」という名前の由来です。

実は、この名前には、ご家族の素敵な願いが込められていました。

「七斗」という名前に込められた意味とは?

明治大学野球部の公式ブログで、榊原選手は自分の名前の由来について説明しています。

それによると、「七斗」という名前は北斗七星に由来しており、広い心を持った人になってほしいという意味が込められているそうです。

さらに、2026年9月のFull-Countの記事では、7月生まれであることも名前の由来に関係していると紹介されています。

榊原選手の誕生日は7月15日。

7月生まれの「七」と、北斗七星の「斗」が組み合わさった名前というわけですね。

北斗七星は、夜空でひしゃくの形に並ぶ7つの星として知られています。

昔から方角を知るための目印にもなってきた星です。

そんな北斗七星にちなんで、広い心を持つ人に育ってほしいという願いを込めたご家族。

名前の意味を知ると、何だか温かい気持ちになりますよね。

両親への感謝と名前の由来に感じる人柄

榊原選手は、明治大学の公式ブログで両親を尊敬する人物として挙げています。

そして、自分の名前に込められた意味も、きちんと理解していることが分かります。

もちろん、名前の由来を知っているだけで性格のすべてが分かるわけではありません。

それでも、両親への感謝を素直に語る姿には、好感が持てますよね。

野球では強気なプレーや勝負強い打撃を見せる一方、家族については感謝の気持ちを大切にする。

そんな一面も、榊原選手の魅力なのではないでしょうか。

また、明治大学の公式ブログでは、チームメートから優しい性格だと紹介される場面もありました。

見た目の印象とは違って、話してみると穏やかな人物だったというエピソードもあります。

大学の仲間たちとの関係からも、親しみやすい人柄が伝わってきます。

プロ野球の世界では、実力はもちろんですが、チームメートやスタッフとの信頼関係も大切になります。

ご家族が名前に込めた願いのように、広い心を持ちながら成長していってほしいですね。

榊原七斗の出身中学・高校は?曽根小から松陽中、報徳学園へ

ここからは、榊原選手の学歴と野球経歴について詳しく見ていきましょう。

榊原選手は、兵庫県高砂市で野球を始め、中学では硬式野球のクラブチーム、高校では全国的な強豪校へと進みました。

出身小学校は高砂市立曽根小学校!野球を始めたのは7歳

榊原選手の出身小学校は、兵庫県高砂市立曽根小学校です。

侍ジャパンの公式プロフィールによると、小学生時代は「曽根南野球部」でプレーしていました。

野球を始めたのは7歳ごろ。

ちょうど小学1年生の時期にあたります。

先ほどご紹介したように、野球を始めたきっかけは兄の影響でした。

また、ご両親が左投げの方が勢いのあるボールを投げられることに気付き、左投げ左打ちになったというエピソードもあります。

つまり、榊原選手の現在のプレースタイルの原点は、この小学生時代にあったのですね。

当時から将来プロ野球選手になることを意識していたのかは分かりません。

それでも、地元の少年野球チームでボールを追いかけていた少年が、十数年後に阪神のドラフト1位選手になるのですから、夢のある話です。

地元の少年野球チームで頑張っている子供たちにとっても、大きな励みになるのではないでしょうか。

出身中学校は松陽中学校!全播磨硬式野球団ヤングでプレー

小学校卒業後は、高砂市立松陽中学校へ進学しました。

中学時代は学校の軟式野球部ではなく、硬式野球のクラブチーム「全播磨硬式野球団ヤング」に所属していました。

ヤングリーグは、中学生を中心とした硬式野球の全国的な組織です。

高校野球を見据えて、早い段階から硬式球に慣れることができる環境として知られています。

榊原選手も、この時期に硬式野球の経験を積み、さらに技術を磨いていったのでしょう。

ただし、中学時代の具体的な大会成績や個人成績については、今回確認できた公式資料では詳しく分かりませんでした。

そのため、全国大会での活躍など、裏付けのない実績を加えることは避けたいと思います。

それでも、全播磨硬式野球団ヤングから報徳学園高校へ進学していることを考えると、中学時代から一定の評価を受けていた可能性はありそうです。

兵庫県は高校野球のレベルが高い地域として知られています。

その中で強豪校へ進み、さらに大学日本代表、ドラフト1位へと成長していった歩みには、積み重ねてきた努力が感じられますね。

高校は報徳学園!投手と外野手の二刀流で活躍

榊原選手が進学したのは、兵庫県の名門・報徳学園高校です。

報徳学園といえば、甲子園での優勝経験もある全国屈指の高校野球強豪校。

厳しい競争の中で、多くのプロ野球選手を育ててきた学校でもあります。

榊原選手は1年生の秋から外野手としてベンチ入りし、2年生の夏には「2番・中堅手」として活躍しました。

そして、2年生の秋からは投手としても重要な役割を担うようになります。

左腕投手として最速144キロを計測し、エースとしてチームを支えました。

一方、打者としても長打力を発揮し、高校通算で二桁本塁打を記録したと紹介されています。

まさに投手と野手の両方で力を発揮する「二刀流」の選手だったのですね。

現在の榊原選手は外野手として注目されていますが、強肩の背景には投手として培ってきた経験もあるのでしょう。

高校時代に投手と野手の両方を経験したことは、大学で外野手に専念してからも大きな武器になったと考えられます。

報徳学園では甲子園に出場できなかった?最後の夏の悔しさ

報徳学園という名門校でプレーした榊原選手ですが、在学中に甲子園の舞台へ立つことはできませんでした。

2年生の夏は兵庫大会でベスト4まで進みましたが、甲子園出場には届きませんでした。

また、3年生の春には近畿大会でベスト4に進出したものの、最後の夏も兵庫大会で敗退しています。

高校最後の夏は5回戦で敗れ、甲子園出場の夢は叶いませんでした。

強豪校に進学したからといって、誰もが甲子園に出場できるわけではありません。

特に兵庫県は強豪校が多く、県大会を勝ち抜くだけでも大変なことです。

それでも、投手としても野手としてもチームを支えてきた榊原選手。

高校時代に甲子園を経験できなかったことは、悔しい思い出として残っているかもしれません。

ただ、その後の明治大学での成長を見ると、高校時代の経験が決して無駄ではなかったことが分かります。

甲子園に出場できなかった選手が、大学で日本代表に選ばれ、最終的にはドラフト1位指名を受ける。

高校野球の結果だけで、選手の将来が決まるわけではないのですね。

そんなことを改めて感じさせてくれる経歴です。

榊原七斗は明治大学で急成長!侍ジャパンでの活躍から阪神ドラフト1位へ

高校卒業後、榊原選手は東京六大学野球の名門・明治大学へ進学しました。

所属学部は情報コミュニケーション学部です。

大学では投手ではなく、外野手に専念。

ここから、プロ野球選手への道が大きく開けていきました。

明治大学では1年秋からレギュラー!3年秋にベストナイン

榊原選手は、明治大学入学後、1年生の秋から中堅手としてリーグ戦に出場するようになりました。

東京六大学野球は、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、立教大学、東京大学の6校で争われる伝統あるリーグです。

全国から実力のある選手が集まるため、1年生のうちから試合に出ることは簡単ではありません。

その中で早い段階からレギュラーとして起用されたことは、榊原選手の能力が高く評価されていた証拠といえるでしょう。

ただ、大学での成長は決して順調なことばかりではありませんでした。

2年生の春には守備固めでの出場が中心となる時期もありましたが、同年秋には主力として復帰。

そして3年生の春には、4本塁打を放つなど長打力を発揮しました。

さらに3年生の秋には、打率.390、3本塁打、10打点を記録。

東京六大学野球で初めてベストナインに選出されました。

ここで注目したいのは、榊原選手が単に足の速い外野手ではなく、長打力も備えていることです。

173cmという体格ながら、しっかりと強い打球を飛ばせる。

そんな打撃能力が、大学野球でも高く評価されるようになりました。

侍ジャパン大学日本代表に選出!日米大学野球で活躍

榊原選手は2025年、大学3年生のときに侍ジャパン大学日本代表に選出されました。

そして、第45回日米大学野球選手権大会に出場。

アメリカの大学代表を相手に、日本の大学球界を代表する選手としてプレーしました。

大会では打撃でも存在感を示し、日本代表の優勝に貢献しています。

特に、日米大学野球選手権では、日本が5戦全勝で3大会連続優勝を達成したことが大きな話題になりました。

国内のリーグ戦とは違い、海外の投手や野手と対戦する経験は、選手にとって貴重な財産になります。

榊原選手も、この国際舞台での経験を通じて、さらに自信を深めたのではないでしょうか。

そして翌2026年にも大学日本代表に選ばれ、国際大会で大きな結果を残すことになります。

2026年WCBCでは大会MVP!国際大会でも勝負強さを発揮

2026年夏、榊原選手はワールド・カレッジ・ベースボール・チャンピオンシップ(WCBC)に出場しました。

大学日本代表として臨んだこの大会で、日本は優勝を果たし、榊原選手は大会MVPに輝いています。

2026年7月12日の韓国戦では、5打数5安打4打点という圧巻の活躍を見せました。

1試合で5安打というだけでも驚きですが、さらに4打点を記録しているのですから、勝負強さが光りますよね。

元原稿では大会全体で打率.432、16安打という数字も紹介されていましたが、今回の調査では集計対象となる試合数や記録の範囲を十分に確認できませんでした。

そのため、ここでは公式記録などで確認できる韓国戦の活躍と、大会MVP受賞を中心に紹介しています。

国内のリーグ戦で結果を残すだけでなく、海外の選手を相手に活躍できることも、プロのスカウトにとって大きな評価材料になるはずです。

榊原選手が大学球界屈指の外野手と呼ばれるようになった背景には、こうした国際大会での実績もあったのでしょう。

大学4年秋も活躍!プロ注目の走攻守三拍子そろった外野手

2026年、大学4年生となった榊原選手は、明治大学野球部の副将を務めています。

最後の秋季リーグ戦でも、チームの中心選手として活躍しました。

9月19日の東京大学戦では、「3番・中堅手」として出場し、6打数2安打2打点を記録。

初回には先制タイムリーを放ち、チームの勝利に貢献しています。

この試合にはNPB7球団のスカウトが視察に訪れ、榊原選手のプレーを高く評価しました。

また、大学4年間を通じて長打力も磨き、2026年のドラフト時点では東京六大学通算12本塁打を記録。

走力、守備力、送球能力に加えて、打撃でも長打を期待できる選手へと成長しました。

2026年秋のリーグ戦では、大学通算打率3割を目指すことも目標として語っています。

ただホームランを狙うのではなく、安定して安打を積み重ねることにも意識を向けていたのですね。

こうした姿勢からも、プロの世界を見据えて自分の課題に向き合っていたことが伝わってきます。

阪神がドラフト1位で単独指名!近本光司を超える選手へ

そして迎えた2026年10月22日。

榊原選手は、阪神タイガースからドラフト1位で単独指名されました。

阪神にとって、野手をドラフト1位で指名するのは2025年に続いて2年連続。

また、左打ちの外野手を1位指名するのは、2018年の近本光司選手以来となります。

その近本選手こそ、榊原選手が憧れてきた選手の一人です。

近本選手も173cmと小柄ながら、俊足と巧みな打撃、広い守備範囲を武器に阪神の中心選手として活躍してきました。

榊原選手も173cmで、左投げ左打ちの中堅手。

さらに、俊足と強肩、長打力を備えていることから「近本2世」と呼ばれています。

ただし、榊原選手には高校時代に投手として最速144キロを投げた強肩や、大学通算12本塁打を記録した長打力など、独自の魅力もあります。

近本選手と似た特徴を持ちながらも、まったく同じタイプというわけではないのですね。

ドラフト指名後、藤川球児監督は榊原選手について、近本選手に憧れるだけでなく、良いライバルとして競争できる存在になってほしいという期待を示しました。

プロ野球の世界では、憧れの選手が同じチームにいることが必ずしも出場機会につながるわけではありません。

むしろ、その選手とポジションを争わなければならない可能性もあります。

それでも、目標とする選手の近くで学び、競い合えるというのは、榊原選手にとって大きなチャンスになるはずです。

まだ正式入団前の段階ですが、将来、甲子園球場のセンターで躍動する姿を見られる日が楽しみですね。

まとめ|榊原七斗の父親・母親や兄弟、家族構成と出身校

今回は、阪神タイガースから2026年ドラフト1位指名を受けた榊原七斗選手について、父親・母親や兄弟、家族構成、出身中学・高校、そして明治大学での活躍を調べてきました。

改めて整理すると、榊原選手は2004年7月15日生まれの22歳。

兵庫県高砂市出身で、身長173cm、体重79kgの左投げ左打ちの外野手です。

お父さんとお母さんの名前や職業などは公表されていませんが、幼いころ、ご両親が左投げの方が速いボールを投げられることに気付き、左投げ左打ちへと変わったことが分かっています。

また、明治大学野球部の公式ブログでは、本人が両親を尊敬していると語っています。

兄弟については、野球をしていたお兄さんがいることが本人の発言から確認できました。

ただし、お兄さんの年齢や職業、他の兄弟の有無などは明らかになっていません。

そして「七斗」という名前には、7月生まれであることや北斗七星にちなんで、広い心を持った人に育ってほしいという願いが込められています。

出身校は、高砂市立曽根小学校、高砂市立松陽中学校、報徳学園高校、明治大学です。

小学生時代は曽根南野球部、中学時代は全播磨硬式野球団ヤングでプレー。

報徳学園高校では投手と外野手の二刀流として活躍し、最速144キロを記録しました。

高校時代に甲子園出場は叶いませんでしたが、明治大学では外野手として才能を開花させました。

3年秋には打率.390でベストナインに選ばれ、2026年のWCBCでは大学日本代表として大会MVPを受賞。

そして2026年10月22日、阪神タイガースからドラフト1位で単独指名され、プロ野球への大きな一歩を踏み出しました。

ここまでの歩みを振り返ると、野球を始めるきっかけをくれた兄、左投げの才能を見つけてくれた両親、そして本人の努力が重なって、今の榊原選手があることが分かります。

家族への感謝を大切にしながら、強豪校での厳しい競争を乗り越え、ついにはドラフト1位指名を受けた榊原選手。

これからプロの世界では、さらに厳しい競争が待っていることでしょう。

それでも、大学日本代表で培った経験や、走攻守に優れたプレースタイルは、大きな武器になるはずです。

憧れの近本光司選手を超える日が来るのか。

そして、阪神の新たなスター選手として甲子園球場を沸かせてくれるのか。

榊原七斗選手のこれからの活躍に、注目していきたいと思います!