広島東洋カープの左腕エースとして活躍する床田寛樹(とこだ・ひろき)投手が、2026年シーズンの終盤に大きな記録を達成しました。
10月1日にマツダスタジアムで行われた中日ドラゴンズ戦で、床田投手は9回を投げて5安打1失点。今季初の完投勝利を挙げ、8勝目をマークしました。
この試合で今季の投球回は143回1/3となり、4年連続で規定投球回に到達。
広島の左腕投手としては、1985年から1994年まで10年連続で規定投球回に到達した川口和久さん以来となる快挙です。
しかも、この試合では打撃でも2安打を記録。投げてよし、打ってよしの活躍で、カープファンを大いに喜ばせました。
そんな床田投手ですが、実は高校時代に甲子園へ出場した経験がありません。
今ではプロ野球を代表する左腕の一人ですが、高校時代は全国的に注目される選手ではなかったのです。
「床田寛樹投手の出身中学はどこ?」
「出身高校は箕面学園高校って本当?」
「高校時代に甲子園へ出場したことはあるの?」
「中部学院大学ではどんな活躍をしていたの?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、床田寛樹投手の出身中学・高校、甲子園出場経験、中部学院大学での成長、そしてプロ入り後の経歴まで詳しく調べてみました。
高校時代は無名だった左腕が、どのようにしてプロ野球のエースへ成長したのか。
その歩みを知ると、床田投手のことをもっと応援したくなるかもしれません。
床田寛樹のプロフィール!年齢・出身地・身長・背番号は?
まずは、床田寛樹投手の基本的なプロフィールをご紹介します。
床田投手は1995年3月1日生まれで、兵庫県尼崎市の出身です。
2026年10月現在は31歳。
身長181センチ、体重94キロの恵まれた体格を持つ左投げ左打ちの投手で、広島東洋カープに所属しています。
床田寛樹の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 床田寛樹(とこだ・ひろき) |
| 生年月日 | 1995年3月1日 |
| 年齢 | 31歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 94kg |
| 投打 | 左投げ左打ち |
| 血液型 | A型 |
| 出身中学 | 尼崎市立園田中学校 |
| 出身高校 | 箕面学園高等学校 |
| 出身大学 | 中部学院大学 |
| 所属球団 | 広島東洋カープ |
| ドラフト | 2016年ドラフト3位 |
| 背番号 | 19(2025年から) |
| ポジション | 投手 |
床田投手は2016年のドラフト会議で、広島東洋カープから3位指名を受けました。
プロ入り当初の背番号は28番でしたが、2025年から19番を背負っています。
この19番は、かつて広島で活躍した野村祐輔さんがつけていた番号です。
野村さんは2016年に16勝を挙げ、最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した実績を持つ投手。
そんな先輩の背番号を受け継ぐことになった床田投手には、球団からの大きな期待も感じられますね。
床田寛樹の2026年シーズン成績
2026年の床田投手は、23試合に登板して8勝6敗、防御率2.76という成績を残しました。
主な成績を整理すると、次のとおりです。
| 項目 | 2026年成績 |
|---|---|
| 登板 | 23試合 |
| 勝利 | 8勝 |
| 敗戦 | 6敗 |
| 防御率 | 2.76 |
| 投球回 | 143回1/3 |
| 奪三振 | 84 |
| 完投 | 1 |
| 完封 | 0 |
| 与四球 | 36 |
床田投手の特徴は、三振を奪うことだけに頼らず、打者を打ち取って試合をつくる投球スタイルです。
球速だけで圧倒するというよりも、ストレートと変化球を組み合わせ、相手打者に的を絞らせない投球が持ち味になっています。
2026年も23試合に先発し、143回1/3を投げ抜きました。
1年間ローテーションを守り、安定してイニングを重ねられる投手は、チームにとって本当に貴重な存在ですよね。
床田寛樹の出身中学は尼崎市立園田中学校!
床田寛樹投手の出身中学は、兵庫県尼崎市にある尼崎市立園田中学校です。
中学時代は学校の部活動だけでなく、硬式野球チームの「兵庫スターズ」に所属してプレーしていました。
ただ、床田投手が野球を始めたのは、さらにさかのぼる小学校1年生の頃です。
小学校1年生で園田南キッドに入団
床田投手は、小学校1年生のときに地元の少年野球チーム「園田南キッド」で野球を始めました。
実は、野球を始めた理由には、少し意外なエピソードがあります。
2023年の『週刊ベースボール』のインタビューによると、幼い頃の床田投手は外で遊ぶことが大好きな、元気いっぱいの少年だったそうです。
一度外へ遊びに出ると、なかなか家に帰ってこないこともあったのだとか。
そんな息子を心配した両親が、地元の野球チームに入れたことが、野球を始めるきっかけになりました。
しかも、入団したばかりの頃は、監督からもらったアメを食べたり、虫取りに夢中になったりしていたそうです。
今の床田投手からは、ちょっと想像できない姿ですよね。
最初から野球一筋の少年だったわけではなく、外遊びが大好きな普通の子どもだったというところに親しみを感じます。
また、2025年のインタビューでは、2歳年上のお兄さんが野球をしていたことも、競技に触れるきっかけになったと語っています。
幼い頃から身近に野球がある環境だったのですね。
中学時代はボーイズリーグの兵庫スターズでプレー
床田投手は尼崎市立園田中学校に進学すると、ボーイズリーグの「兵庫スターズ」で硬式野球に取り組みました。
ボーイズリーグは、中学生が硬式球を使って本格的に野球を学ぶことができるリーグです。
将来プロ野球選手になる選手も多く経験しており、技術を磨くうえで重要な時期になります。
床田投手も、兵庫スターズでの活動を通じて、投手としての基礎を身につけていったのでしょう。
ただし、中学時代に全国大会で目立った成績を残したという詳しい情報は、公開資料では確認できませんでした。
現在の活躍を考えると、当時から誰もが知る有名選手だったと思ってしまいますが、実際にはそうではなかったようです。
中学時代に全国的な注目を集めていなくても、その後の努力次第でプロ野球選手になれる。
床田投手の歩みは、そんな可能性を感じさせてくれますね。
床田寛樹の出身高校は箕面学園高校!甲子園出場経験は?
床田寛樹投手は中学卒業後、大阪府箕面市にある箕面学園高等学校へ進学しました。
結論からお伝えすると、床田投手に高校時代の甲子園出場経験はありません。
高校3年生の夏も大阪大会で敗退し、甲子園の土を踏むことはできませんでした。
しかし、床田投手にとって、高校時代の3年間は野球に打ち込む大切な時間だったようです。
箕面学園高校では1年秋からベンチ入り
床田投手は箕面学園高校で、1年生の秋からベンチ入りを果たしました。
2年生の春には大阪大会ベスト16入りを経験し、2年生の夏からはエースとしてチームを引っ張る存在になっています。
大阪府といえば、大阪桐蔭高校や履正社高校など、全国的な強豪校が集まる激戦区です。
その中で甲子園出場を目指すのは、決して簡単なことではありません。
床田投手も、強豪校と戦いながら実力を磨いていきました。
ただ、当時は球速が130キロ前後で、プロ野球のスカウトから大きな注目を集めるような選手ではなかったといいます。
後に広島のエースになる選手が、高校時代にはまだ無名に近い存在だったというのは意外ですよね。
高校最後の夏は豊中高校にサヨナラ負け
床田投手にとって忘れられない試合の一つが、高校3年生の夏の大阪大会です。
2012年の大阪大会では、2回戦の大阪園芸高校戦で13奪三振、5安打無四球の完封勝利を記録しました。
そして迎えた3回戦。
相手は豊中高校でした。
床田投手は延長10回まで力投し、10奪三振を記録しましたが、試合は3対4でサヨナラ負け。
甲子園への夢は、ここで途絶えてしまいました。
高校生活の最後の試合がサヨナラ負けというのは、相当悔しかったでしょうね。
それまで積み重ねてきた練習や、仲間と過ごした時間を思うと、簡単には気持ちを切り替えられなかったのではないでしょうか。
床田投手も母校のインタビューで、この試合を高校時代の印象に残る一戦として振り返っています。
甲子園には届かなかったものの、最後までマウンドに立ち続けた経験は、その後の野球人生にもつながっていったのかもしれません。
同学年には大阪桐蔭の藤浪晋太郎がいた
床田投手が高校3年生だった2012年、大阪の高校野球界で大きな注目を集めていたのが、大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎投手でした。
藤浪投手はこの年、春夏の甲子園連覇を達成しています。
一方、床田投手は大阪大会3回戦で敗退。
同じ大阪でプレーしていた同学年の投手でも、当時の注目度には大きな差がありました。
2016年の『BASEBALL GATE』のインタビューで、床田投手は高校時代の藤浪投手について、当時は意識することもなかったという趣旨の話をしています。
それほど、当時の2人には実績の差があったのでしょう。
しかし、その後の床田投手は大学で大きく成長し、プロ野球の世界へ進むことになります。
高校時代の評価が、そのまま将来の評価になるわけではない。
床田投手の経歴を見ると、そのことを強く感じますね。
床田寛樹は中部学院大学で急成長!ドラフト3位への道
箕面学園高校を卒業した床田投手は、岐阜県にある中部学院大学へ進学しました。
そして、この大学時代の4年間が、床田投手の野球人生を大きく変えることになります。
高校時代は130キロ前後だった球速が、大学では140キロ台後半までアップ。
左の本格派投手として注目されるようになり、2016年のドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受けたのです。
中部学院大学で球速が148キロまでアップ!
床田投手が中部学院大学に入学した頃は、身長が180センチを超えていた一方で、体重は60キロ台前半と細身だったそうです。
球速も130キロに届くかどうかというレベルで、現在の力強い投球とはかなり違っていました。
大学の原克隆監督も、当時の床田投手について、細身でインステップの大きい投手だったと振り返っています。
そこで取り組んだのが、投球フォームの修正と体づくりでした。
床田投手は、踏み出す足が大きく内側へ入るインステップの投球フォームを改善。
大学3年生の冬には、3足分ほどあったという極端なインステップを、ほぼ正面へ踏み出す形に修正しました。
しかし、フォームを変えるのは簡単ではありません。
一度修正すると投球フォームが崩れ、また元に戻してしまうこともあったそうです。
それでも諦めず、監督とともに試行錯誤を続けました。
その結果、大学4年生の秋には最速148キロを記録するまでに成長したのです。
高校時代の球速を考えると、驚くほどの進歩ですよね。
大好物のポテトチップスを控え、1日5食で体づくり
床田投手が大学時代に取り組んだのは、フォームの修正だけではありません。
体を大きくするため、食生活も見直しました。
2016年のインタビューによると、床田投手は大好物だったポテトチップスを控え、食事を1日5回に増やしたそうです。
その結果、大学4年生の頃には体重が74キロまで増加しました。
今では94キロという体格ですが、大学入学時はかなり細身だったのですね。
食事の回数を増やしながら練習を続けるのは、想像以上に大変だったと思います。
好きなものを我慢することも、体を大きくするために食べることも、すべて野球のため。
その地道な積み重ねが、球速アップにつながったのでしょう。
華やかなプロ野球の舞台からは見えにくい努力ですが、こうしたエピソードを知ると、床田投手の強さには理由があるのだと感じます。
中部学院大学で公式戦通算26勝!ベストナインも受賞
床田投手は大学1年生の春からリーグ戦に出場しました。
2年生の秋には先発投手としての地位を確立し、チームの主力へと成長していきます。
大学時代には、岐阜県学生野球リーグでベストナインに2度選出されました。
また、東海地区の大会でも優秀選手賞や最優秀投手賞を受賞しています。
2016年11月に中部学院大学が発表した資料によると、大学時代の成績はリーグ戦通算21勝、公式戦通算26勝でした。
特に大学4年生の春には、岐阜リーグで7勝を挙げて最多勝に輝いています。
高校時代は全国的に無名だった投手が、大学ではリーグを代表する左腕へと成長したのです。
さらに、明治神宮野球大会にも出場し、全国の強豪大学と対戦する経験を積みました。
2年生の秋には、九州産業大学や駒澤大学といった強豪校と対戦。
こうした全国レベルの相手と戦う中で、プロ野球への意識が強くなっていったそうです。
高校時代のチームメート・城憲輝との再会
大学時代には、高校時代の仲間との対戦もありました。
箕面学園高校でチームメートだった城憲輝さんは、岐阜経済大学へ進学。
床田投手とは大学のリーグ戦で対戦することになりました。
高校時代は同じユニフォームを着て、一緒に甲子園を目指していた仲間です。
それが大学では、別々のチームの選手としてマウンドで対戦することになるのですから、不思議な縁ですよね。
床田投手も、大学時代の印象に残る対戦として城さんとの投げ合いを挙げています。
勝敗だけでなく、かつての仲間と真剣勝負ができたことも、大学時代の大切な思い出になっているのでしょう。
中部学院大学の先輩には野間峻祥がいた
床田投手の中部学院大学時代には、もう一つ興味深い縁があります。
2学年上の先輩に、後に広島東洋カープでチームメートとなる野間峻祥選手がいたのです。
野間選手は2014年のドラフト1位で広島に入団。
その2年後、床田投手もドラフト3位で同じ球団に入団しました。
大学時代の先輩と後輩が、プロ野球でも同じユニフォームを着てプレーする。
なかなか素敵な話ですよね。
大学時代からお互いを知っている存在がチームにいることは、床田投手にとって心強かったかもしれません。
2016年ドラフト3位で広島東洋カープに入団
2016年10月20日のプロ野球ドラフト会議。
床田投手は広島東洋カープから3位指名を受けました。
中部学院大学の公式発表によると、同年11月には広島との仮契約に臨んでいます。
大学で体づくりとフォームの修正に取り組み、球速を大幅に伸ばしたことが、プロ入りへの大きなきっかけになりました。
床田投手は当時、将来は球界を代表する投手になりたいという目標を語っています。
高校時代に甲子園へ出場できなかった少年が、大学で努力を重ね、ついにプロ野球の世界へ。
ここまでの歩みを知ると、本当に胸が熱くなりますね。
高校時代の評価が低くても、諦めずに続ければチャンスはある。
床田投手の野球人生は、そんな大切なことを教えてくれるように思います。
床田寛樹のプロ入り後の経歴!トミー・ジョン手術から復活
2016年のドラフト3位で広島東洋カープに入団した床田投手。
しかし、プロ入り後の野球人生も、決して順風満帆ではありませんでした。
1年目から一軍のマウンドに立つチャンスをつかみながら、大きなケガに見舞われてしまったのです。
プロ1年目の2017年に開幕ローテーション入り
床田投手は2017年、ルーキーながら開幕ローテーション入りを果たしました。
プロ初登板は4月5日の中日ドラゴンズ戦です。
さらに4月12日の読売ジャイアンツ戦では、プロ初勝利を記録しました。
大学で大きく成長した左腕が、プロの世界でも早くから結果を出したのです。
しかし、その後に左肘を痛め、同年夏にトミー・ジョン手術を受けることになります。
トミー・ジョン手術とは、損傷した肘の靱帯を再建する手術です。
投手にとって肘は非常に重要な部分であり、手術後には長期間のリハビリが必要になります。
プロ入りしたばかりの時期に、大きな手術を受けなければならなかった床田投手。
本人にとっても、不安の大きい時間だったのではないでしょうか。
2019年に復帰し7勝!苦しいリハビリを乗り越えた
床田投手は手術後、長いリハビリ期間を経て、2019年に一軍へ復帰しました。
そして、この年は25試合に登板し、7勝6敗、防御率2.96を記録。
復帰シーズンから先発投手として活躍しました。
手術を受けた投手が、以前と同じように投げられるようになるまでには、技術面だけでなく精神面での苦労もあるはずです。
思いどおりに投げられない時期や、復帰後に再び痛みが出ないかという不安もあったかもしれません。
それでも床田投手は、一歩ずつマウンドへ戻ってきました。
そして、チームに必要とされる投手へ成長していったのです。
高校時代の無名から大学での急成長、そしてプロ入り後の大ケガからの復活。
床田投手の経歴には、何度も壁を乗り越えてきた強さが感じられますね。
2023年に自己最多11勝!初の2桁勝利を達成
床田投手が大きな飛躍を遂げたのが、2023年シーズンです。

この年は24試合に登板し、11勝7敗、防御率2.19を記録しました。
プロ入り後初めて2桁勝利を達成し、チームの主力左腕として存在感を示したのです。
さらに、2完封を含む好投を重ね、シーズンを通じて安定した投球を披露しました。
2024年も11勝を挙げ、2年連続で2桁勝利を達成。
防御率も2.48と安定しており、広島の先発ローテーションに欠かせない存在になりました。
かつて大きな手術を経験した投手が、毎年安定して結果を残せるようになったことは、本当に素晴らしいですよね。
2024年オールスターで155キロを打ち返した!
床田投手といえば、投球だけでなく打撃でもファンを楽しませてくれる選手です。
特に話題になったのが、2024年7月23日に行われたオールスターゲーム第1戦でした。
この試合で床田投手は、なんと投手でありながら代打として登場。
対戦したのは、日本ハムの田中正義投手です。
床田投手は155キロのストレートを見事に打ち返し、ライト前ヒットを放ちました。
投手が代打で登場するだけでも珍しいのに、155キロの速球をヒットにしてしまうとは驚きですよね。
しかも、この代打起用は新井貴浩監督からの推薦によるものでした。
床田投手本人も、実際に代打で出場することになってうれしかったと振り返っています。
投手でありながら打撃でも結果を残す姿は、ファンにとって忘れられないシーンになったのではないでしょうか。
なお、2025年には公式戦でプロ初本塁打も記録しています。
投球だけでなく、打撃でも成長を見せているところが床田投手の魅力ですね。
床田寛樹が2026年に4年連続規定投球回を達成!
そして迎えた2026年シーズン。
床田投手は10月1日の中日ドラゴンズ戦で、今季初の完投勝利を挙げました。
この試合は、単なる1勝ではありませんでした。
4年連続で規定投球回に到達するという、大きな記録がかかった登板でもあったのです。
10月1日の中日戦で9回1失点の完投勝利
床田投手は10月1日の中日戦を前に、規定投球回まで残り8回2/3という状況でした。
規定投球回とは、投手の防御率ランキングなどで正式な順位をつけるために必要な投球回数のことです。
NPBでは、原則としてチームの試合数と同じ投球回が必要になります。
2026年のセ・リーグは143試合制のため、規定投球回は143回です。
床田投手は、この試合で9回を投げ切り、見事に規定投球回へ到達しました。
投球内容も素晴らしく、9回を5安打1失点。
投球数は106球で、与四球はゼロでした。
7回には中日の細川成也選手にソロ本塁打を浴びましたが、失点はこの1点だけ。
最後は細川選手を空振り三振に仕留め、完投勝利を飾りました。
さらに打撃でも2安打を記録し、投打でチームの勝利に貢献しています。
まさにエースらしい活躍でしたね。
川口和久以来!球団左腕では久々の快挙
床田投手は2023年から2026年まで、4年連続で規定投球回に到達しました。
広島の左腕投手で4年以上連続して規定投球回を達成したのは、川口和久さん以来です。
川口さんは1985年から1994年まで、10年連続で規定投球回に到達した名投手でした。
その川口さん以来となる記録を、床田投手が達成したのです。
球団の歴史に名を残すような記録ですよね。
規定投球回に到達するためには、シーズンを通じて先発ローテーションを守り続ける必要があります。
ケガをせず、安定して試合に出場し、長いイニングを投げることが求められます。
一度達成するだけでも簡単ではありませんが、それを4年連続で続けるのは、本当に大変なことだと思います。
2026年は8勝6敗!来季への期待も高まる
2026年の床田投手は、最終的に23試合に登板し、8勝6敗、防御率2.76という成績を残しました。
2023年と2024年に記録した11勝には届きませんでしたが、4年連続の規定投球回到達という大きな成果を残しています。
また、10月1日の完投勝利では、ファンの声援が大きな力になったことも語っていました。
マウンドに立つ投手にとって、球場からの声援は特別なものなのでしょうね。
広島は2026年も苦しいシーズンとなり、3年連続のBクラスに終わりました。
それでも、床田投手のように安定して試合をつくれる左腕がいることは、来季に向けて大きな希望になるはずです。
プロ入り後にトミー・ジョン手術を経験しながら、ここまで長く活躍を続けている床田投手。
これからも体を大切にしながら、広島のエースとして活躍してほしいですね。
まとめ|床田寛樹は甲子園未経験から広島の左腕エースへ!
今回は、床田寛樹投手の出身中学・高校、甲子園出場経験、中部学院大学での経歴、そしてプロ入り後の活躍について詳しくご紹介しました。
最後に、今回分かったことを整理しておきましょう。
- 床田寛樹投手は1995年3月1日生まれ、兵庫県尼崎市出身
- 出身中学は尼崎市立園田中学校
- 小学校1年生で園田南キッドに入り、中学時代は兵庫スターズでプレー
- 出身高校は大阪府の箕面学園高等学校
- 高校時代に甲子園へ出場した経験はない
- 高校最後の夏は大阪大会3回戦で豊中高校にサヨナラ負け
- 出身大学は岐阜県の中部学院大学
- 大学では投球フォームと体づくりを見直し、最速148キロまで成長
- 大学公式戦通算26勝、岐阜リーグでベストナインを2度受賞
- 2016年ドラフト3位で広島東洋カープに入団
- 2017年にトミー・ジョン手術を受け、2019年に復帰
- 2023年と2024年には2年連続で11勝を記録
- 2026年は8勝6敗、防御率2.76で4年連続規定投球回に到達
今回、床田投手の経歴を調べていて、特に印象に残ったのは大学時代の努力でした。
高校時代は甲子園に出場できず、全国的にも無名に近い存在だった床田投手。
それでも、大学で投球フォームを見直し、食生活を変え、体を大きくする努力を続けました。
そして、プロ入り後には大きなケガも経験しましたが、諦めずにリハビリを重ね、広島の主力投手へと成長したのです。
高校時代に目立った実績がなくても、そこから成長できる。
大きなケガをしても、再び第一線に戻ってこられる。
床田投手の歩みには、そんな勇気をもらえるエピソードがたくさんありました。
これからも広島東洋カープの左腕エースとして、チームを勝利へ導く投球を見せてほしいですね。
床田寛樹投手のさらなる活躍に期待したいと思います!





